コミック「玄奘法師と天竺の旅」を読んで

 

子供の頃「西遊記」をテレビ等で見て、三蔵法師は脇役、主役は孫悟空だった。しかし事実は三蔵法師の偉大さを子供たちや市井

 

の人々に広く、多く知らしめるため、優しく啓蒙する手段が西遊記だった。

 

三蔵法師が中国を密出国してシルクロードを渡り、天竺への往復から丸10世紀経って西遊記は書かれた。類稀な業績三蔵法師の

 

栄誉を世界の人々に伝えたかった意志が理解できる。

 

 

今回コミックを読んで三蔵法師の偉大さと仏教がアジア制覇した原因になったことを知ったが、もっと驚いたのはコミックには描かれ

 

ていなかったが、三蔵法師の霊骨が日本にある事実だった。

 

三蔵法師こと玄奘法師は(以下玄奘法師と記す)664年没した。霊骨は長安の慈恩寺にて告別式あり、そこに安置されたとある。

 

時は長らく経過し昭和17年南京でのこと。そこに駐屯していた日本軍は兵舎敷地内に稲荷神社を建てることになった。そこで掘った

 

所一個の石棺が出て来た。日中の専門機関に調査を依頼したら、それが何と玄奘法師の霊骨である事が分かった。当然そこには

 

多数の副葬品・明-宗・唐時代の古銭等も埋蔵されていた。翌年全て中国側に還付された。

 

中国側の盛大な式典の後、日本に御礼として分骨してくれた。それが戦中巡り巡って現在埼玉・岩槻の慈恩寺に奉安されている。

 

尚玄奘法師の霊骨は高田好胤師等の熱心な請願により奈良県・薬師寺にも分骨された。(昭和56年)下記は岩槻-慈恩寺にある

 

玄奘法師石塔である。

 

画像13重塔>この日は雨が降り、風も強い荒天だった。

画像13重塔と玄奘法師像>天竺への旅立ちそのままのいで立ち像。

画像玄奘塔 正門>門構えは大陸風。

画像玄奘塔へ行く通りに面して反対側に慈恩寺はある。玄奘塔へは簡単には行けない。ぬかるみロードを歩むさながら天竺へ続く路のように・・・・・。

画像案内図 慈恩寺は坂東三十三霊場 第十二番札所でもある。

画像納経印と孫悟空ストラップ>

 

《追加》

お彼岸の日の翌日、祖先の御参りも程々に私たち夫婦は埼玉は岩槻にある「慈恩寺」に向かって車を走らせた。

私達は仏教信者ではないが、最近コミックの「三蔵法師」を読んで、玄奘法師の頂骨が分骨されていることを知った。

7世紀苦しむ人々を救うため、密出国してまで天竺(インド)に仏典を学びに行き、17年の月日を経て長安(中国)

へ戻った玄奘法師の超人的な偉業に魅せられたからである。

古い石棺を偶然見つけられたのは戦前、南京に駐屯していた日本軍だったが(高森部隊)、日中研究者は1300年経った

玄奘法師の霊骨に間違いないと判定を下した。そして数奇な霊骨は幾多の戦争や災厄を乗り越えて、日本の慈恩寺13重塔

に奉安されている。本日は春の嵐吹付け、桜も三分咲き、ぬかるみのあぜ道数百メートル行った小高い丘の上に聳え立っていた。

玄奘法師はシルクロード、天山山脈を越え天竺に入った。そして長安へ再び戻り、インド仏教を翻訳、それは全世界へ伝播した。

日本でも玄奘法師が仏典を翻訳しなかったら「般若心経」だって読みあげられなかった。日本に鑑真だって来なかったし、空海だって海を渡らなかっただろう。たとえ無宗教でも玄奘の教えは

祖先を敬い、人々と融合して生きていく事の大切さが分かる。西遊記だけでしか知らない三蔵法師は実は人類の為に貢献した

ノーベル賞もののヒューマニストであったことだけでも伝われば私の本意である。