『コノドント館を建てた小林力雄』展
コノドント館では2~3年前、マイコレクションのUSA製
ランチボックスを約200展示して貰った縁で、毎年2~3度企画展があると、必ず展示招待券を送ってくれる。当時の館長は他へ転属さ
れ、館長が変わってもその習慣は途切れることなく続行されている。非常に有難く思い感謝している。
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今回はコロナ禍の中4/11迄嘗て大間々銀行として使われた「コノドント館」の歴史とその設計者小林力雄氏について展示していた。
小林力雄氏の生まれは館林だが、叔父のいる横浜でも少年時代を過ごした。だから力雄氏の多く設計した洋館はいつも垣間見てい
て、少年の夢の具現化のように思われる。明治時代横浜には外人居留区があって、木造の家ばかり見ていた少年には外国に来た
印象であったろう。又力雄氏が勤めた横浜の清水建設は当時「店童」と称して将来性のある若者を英才教育して仕事させる画期的
な雇用をしていた。前途有望な人材の確保に経営者は躍起になっていた時代だった。
そこで洋風建築のノウハウを学んだ力雄氏が幾つか設計した一つが今尚残存する大間々にある、銀行として建てた洋館だった。
他に残存する力雄氏の業績は桐生にある「絹撚記念館」である。
完成した頃の大正時代は糸に撚りをかける模範工場として稼働していた。力雄氏が設計した洋館はその殆どが消滅したが、力雄氏
の設計した洋館で一風変わった建築物に台湾館と言うのがある。多分高崎で万国博覧会のような催しがあった時、建てたようであ
る。
大間々銀行は群馬で始めて出来た私立普通銀行だった。前橋や館林には国立の銀行が群馬には2つあった。
大間々は昔、足尾銅山の中継地だったので、そちらの方で金回りが良い宿場町だと思っていたら、生糸や繭の集結地として江戸に
運搬する一大拠点でもあった。銀行や沢山の倉庫が必要な物流の要に相当した。
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