1年越しで待った倍賞千恵子さんの講演

 

昨年3月待ちに待った講演がコロナ禍で中止、しかし今年は定員3分の一に縮小して開催された。感謝感激!

 

倍賞千恵子さんは妹の美津子さんから見れば賢そうで近寄りがたい雰囲気を画面上は醸し出しているなと思っていた。然し壇上の

 

姉貴千恵子さんは年齢も行ったことなのか、ザックバランで捌けている感じで観衆に接してくれた。矢張り下町っ子(東京滝野川出

 

身)と言う親近感があった。

画像パンフと昨年中止の入場ハガキ>

 

気楽に飾らずすぐ歌を歌い始めた。赤城の子守歌多分ここは忠治の里だから、皆関心あると思い歌ったのだと思う。それから私

 

「下町の太陽」を歌う前から歌手だった。疎開先の茨城でよく年寄りにおだてられ、ミカン箱の上に乗って歌ったと懐かしんだ。

 

歌手に成ったきっかけは長姉のせつこがNHKのど自慢に行くから次女のちえこもついてきてと言われ、一緒に行った。姉は「リンゴ

 

追分」を歌い鐘ひとつ。千恵子は「里の秋」を歌い、鐘の連射だった。それをポリドールの社員が見ていて後日家族に入社するようス

 

カウトに来た。少女合唱団に入って歌のレッスンをしたが、そこには由紀さおりもいたと言う。やがて母の薦めで難関の「松竹音楽舞

 

踊学校」(SKD)に入学する。

 

倍賞千恵子さんの人生はとんとん拍子で好転していく。3年間の芸能学校を卒業するも首席であったと言う。すぐ下町の太陽レコード

 

化の話が浮上して、大ヒット映画化されることになった。あの当時歌がヒットすると映画化が当たり前の時代だった。吉永小百合

 

いつでも夢を等数え上げたらきりがない。その「下町の太陽」の映画監督が「男はつらいよ」の山田洋二監督だったのである。縁

 

は不思議なものでやがて正月定番のおばけ映画は長年日本人を楽しませた。

画像男はつらいよ>

 

葛飾柴又には渥美清の寅次郎像がかなり前から屹立している。5年前倍賞さん演じる「さくら」の銅像も「寅さん」を待ちわびるように

 

佇んでいると言う。倍賞さんはまだ生きているんだから銅像は余り有難くないと山田監督に話したら、「あれはさくらの銅像で、ちこち

 

ゃんの像ではないんだよ」と言われて安心したと言う。私はNHKのちこちゃんと同じ呼ばれ方なんです。「ボ~と生きてんじゃね~よ}

 

と言って観衆を和ませた。

 

とても当年80歳になる御方とは思えない美声とアクションだった。歌を歌う時、椅子から立ち上がってテーブルの前で仁王立ちして鈴

 

の成るような声で歌った。最後に質問ありますか700人の観衆に呼びかけ「何か歌を歌って貰えますか?」前方の客が言うと江

 

戸っ子は返しが早い。即「さくらのバラード」を歌った。私はその歌を始めて聞いたが、隣席のツレは以前聴いたことがあるとい

 

っていた。数年前復活した寅さん映画を見ると、出演者は流石にお年寄りばかりだ。リリーこと浅丘ルリ子さん、泉の母役夏木マリ、

 

前田吟、佐藤蛾次郎、住職役笹野、美保純、吉岡秀隆だって50歳を過ぎていた。渥美清も倍賞千恵子さんも当たり役が1本あった

 

ために、他の役柄が付けにくくなった。昨年亡くなった渡哲也も刑事役が嵌り役で役者としての無限性が無くなった。「男はつらいよ」

 

の兄妹もしかり。007のショーン・コネリーはその固定嵌り役が嫌でジェームスボンド役を自ら降りた。その悲劇は映画ファンにとって

 

後々出て来

 

るボンド役が余りに不甲斐ないので見るのがウンザリだった。確かに車寅次郎・さくらが他の役者だったら味気なく、詰らない映画に

 

なっていただろうが、二人の俳優にとっては限りない無限性と他面性を阻害したことは事実だった。

 

画像男はつらいよ50 お帰り寅さん 倍賞さんはこの映画で日本アカデミー賞にノミネートされている。3/19発表が楽しみ>

 

 

 

(注)後書き忘れましたが倍賞さんの講演の前に「長寿社会 私のメッセージコンクール」の発表会がありました。小学生から高校生まで祖父祖母の想い出話はグッグッと来るものがありましたね。