『文化財から見る桐生の歴史』講演![]()
2~3日前桐生では市制100年を祝う会が執り行われた。桐生観光大使の篠原涼子さんも出席して花を添えたらしい。その又2~3日
後今度は桐生文化会館スカイホールで下記(画像)の文化講演があった。
高崎はラーメンだるま大師のファンが列席して、席を濁したと聞く。
あっ、それは私だ!出席名簿を見ると殆どが桐生在住者で他市他県の参加者は見られなかった。それでも敬慕する坂口安吾氏の
終息地であり、敬愛する奥さんが生まれた上州義理と人情の町の歴史を知りたくて、モダンな建物の4Fスカイホールで下記3つの文
化財の講義を聞いた。
画像パンフ1>
画像シャンデリア・スカイホール>
画像建物:文化会館>
所が1:30に開催されると「天満宮」「彦部家」「明治館」
を語る講師の全90分を3等分してそれぞれ30分位語ると思いきや
主管の桐生文化史談会の方が先頭を切って、史談会の歴史85年を喋り始めたら、イヤ止まらぬ続くわで30分以上史談会を宣伝し
てしまった。つまり後残された3講師は残り60分を割り当てられたことになる。先ずは桐生天満宮を一席。
画像巻島隆氏➡240年前のミステリー>
スライドを幾つか見せて巻島氏は講義したが大出東皐作「桐生紗綾〈さや〉市之図」は興味深い。織物を売買する絵馬の説明がユニ
ーク。織都桐生が隆盛を極めた時代で一日千両(一億円)の現金が動いた。それが一カ月6回の絹市が開かれる六斎市は桐生経
済の強大さを印象付けた。そんな折天満宮が移動し、桐生新町は東の京都と言われた由縁である。240年前「忍山湯旅の記」を書
いた高山彦九郎は
天満宮の敷地内には他に観音堂や赤城社もあり、太鼓橋は木製で彦九郎が描いた絵図では現在の位置とは違うので、洪水等で天
満宮は移動したと思われる。
画像パンフ2>
天満宮講義も約30分熱弁を奮ったので、後残りの彦部家と明治館を語る講師には一人10分程度の時間しかなくなった。昔々彦部
家は入館しようと入り口まで立ったことは立ったけど、当時それ程歴史に興味がなかったのでスルー。明治館は2016群馬県民の
日、入館無料だったので雨の日だったが、近くのカリビアンビーチの次(秋だと言うのに泳いだ)拝観させて貰った。以下はその時の
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画像コピー>
明治館は渡されたレジメに寄れば、明治11年前橋に群馬県衛生所兼医学校として建設。ここには書いてないけど確か萩原朔太郎
の父親が医院をしていたのは、ここで勉強したと過去に聞いたことがある。
同年明治天皇が巡行~天覧。すると即衛生所廃止、医学校も閉校。巡行の為の建設と言うことになる。やがてそこの土地に群馬会
館が建設することになると、当建物は昭和三年相生村役場(桐生)に払い下げられることになった。つまり明治天皇が巡行すること
がなかったら、今桐生にある明治館は竣工されることもなかったと言える。準備として道路整備おいても一切合切がそうである。
現代でもそうかも知れないが、戦前天皇の威光は関係者にとって身震いするほど光栄なことだったのである。2021オリンピックは聖
火リレーするお陰で、随分道路が整備された。伊勢崎も例外なく聖火リレーコースは整備された。果たしてオリンピック開催を強行す
るのだろうか?コロナを度外視してまで無理に開催することも無いと思うけど・・・・・。






