『良寛さんの和顔愛語』
多分戦後教育を受けた我々には戦前ほど良寛さんのことを学ぶ機会は少なかっ
たと思う。けど我々の親たちは良く良寛さんのことを知っていて、蹴鞠が好き
で子供が好きで、飄々と生きたお坊さんだったと聞いていた。
然し戦後働け、働け、24時間働けますか❓が宣伝文句になる時代、アメリカに
追いつけ、追い越せ、高度成長のみが目的になった日本では、一日子供と遊び
短歌や俳句で余暇を凌ぎ、宿無し寺なしの僧など無頼に属する人種になってし
まった。最近何だか良寛さんに学べみたいな偶然と縁がわが身辺に漂う。
元々良寛さんのことは昔話や紙芝居で御幼少の頃から知っていたが
どういうお坊さんだったか知らなかった。それがまず大間々の「コノドント館」
に赤城山の絵画展示を見に行った時、コノドント館周辺を「ブラオヤジ」して
散策した。とあるお寺の門前に「うらをみせ おもてもみせて 散る紅葉」
良寛さん辞世句を掲げる曹洞宗のお寺が目に止まった。
成程感心するほどに簡潔明朗な俳句だった。青二才の頃なら気に留めず古稀な
らばこそ身に染む言葉だった。35年前頃夏休み恒例の日本海水浴びに出雲崎方
面に来訪すると、走行中良寛記念館の看板に良く遭遇した。
でも関心はなかった。同郷の作家坂口安吾を卒論した時、安吾評の良寛を読ん
だことを記憶していたが、取り分け新潟人の研究文化に飢えている余裕がある精神
状態ではなかった。当然今年GO TOトラベルで瀬波温泉を訪れた時も
帰路弥彦神社、魚のアメ横寺泊を通過する時も「良寛記念館」は目に入った。
然し時間に追われて蹴鞠良寛はパスした。そして今年極めつけの第3弾
舘ひろしの「終わった人」DVDを見ていたら、定年退職した役柄の
舘ひろしが夫婦で見上げた満開の桜を仰いで「散る桜 残る桜も 散る桜」
寂しく読み上げ、良寛さんの俳句だよと奥さん役の黒木瞳に言った。
ウ~ム、良寛さんの俳句は解り易い。一寸この人なりの人生や生き様が知りた
くなった。という訳で良寛さんの本を年が迫ったクリスマスに借りて来たという訳。。
良寛さんはお寺の子息ではなく、先祖代々名主を引き継ぐ名家の生まれで
長男だった為自動的に18歳にして名主見習いになった。
然し父親の代理で立ち会った刑場の死刑を見て、度肝を抜かれ
即出家してしまった。相当のショックを受けたようで、心根の優しい
繊細な精神の青年だった。それから僧の修行を数カ所で20年余り
39歳にして故郷へ帰って来た。然しそれから家に居つくわけでもなく
友人宅を転々、パトロンがついて五合庵で花鳥風月、俳句や短歌を
愛でた。和顔愛語はこうして生まれた。高齢になってからは
神社社務所に居たり、木村家邸宅内に庵を作って貰い
漢詩や書画を嗜み、読書三昧に明け暮れた。老いらくの恋と
云われた貞心尼とも交互に詩を詠んだ。5年間の親睦を
貞心尼は「蓮の露」のタイトルで編纂している。
曹洞宗・道元を慕い、23歳で北面の武士から出家放浪した西行に憧れ
74歳で没した良寛は類まれな生き方をした新潟人だった。
いつまでも後人に慕われる人格と生き様であった。良寛さんのような
人生もいいなぁ。僧侶は寺を持つことで生活を考えるようになり、
信仰の持つ意義を江戸時代後期から見失っているんだね。
最後に良寛さんの
辞世を。「良寛に 辞世あるかと 人間はば 南無阿弥陀仏といふと 答えよ」
(注)因みに「愛語」とは、やさしくいたわる言葉をかけること だそうです。 今年ももうすぐ
大晦日がやってきます。コロナに負けず、弱い自分に勝ってよい年を迎えましょう!

