キネマ旬報・追悼渡哲也
10月にマイ・ブログで渡哲也追悼文を書いた。伊勢崎図書館へ行ったら天下の邦画雑誌キネマ旬報が30ページも割いて渡哲也追悼
特集号を書いてくれていた。ここは再び哲ちゃんのことを書かなければ男が廃ると思った。追悼号を読むと今まで知らなかった渡哲
也の人なり歴史なりが、ヨ~知れたじゃけんの~!
先ず渡哲也は見た目無口で真面目で冗談など言わない風体をしている。しかしそれは石原プロダクションでナンバー2になってから
の顔で、これが日活初期の時代に遡って学生時代ともなれば、まるで違っていた。本人の生い立ちを語った1977年高平哲郎氏との
インタビュー内容は圧巻である。オヤジは洋品屋で兄弟(弟・渡瀬邦彦)の躾は厳しかった。淡路島に住んでいたので中学から寮生
活。学校は高校までストレートの三田学園。ここ出身のプロ野球選手は私の知る限り巨人・淡口、山本功児。甲子園にも出ている。
渡哲也の高一時代は勉強ができる秀才だったが、二年目からワルに変身。
たばこは吸う女は引っ掛ける遊び人に一変して停学も味わった。
ぶっきら棒で声にドスがきき、笑い顔に恥じらいや照れ丸出しで相好崩し、10代では目つきの悪い硬派だった。高三でいきなり空手
をやり始めたのも喧嘩が強くなりたい一心。青学大へ入っても空手部で通した。渡哲也の大学入試の発想も面白い。友達が東京の
大学を受けるというので一緒に同じ大学を受けることにした。3つ受験することにして青学、立教、慶応と順番に受けるはずだった
が、一番目に受けた青学で合格通知が来たので、次の立大、慶大はメンド―なので受験に行かなかったとさ。さて大学も卒業シーズ
ン近くになり、就職も考えたが、弟連中の薦めで日活.浅丘ルリ子の相手役コンテストに応募した。そしたら無試験で相手役は渡哲也
に決まっていた。
矢張り飛びぬけて容貌が俳優向きであったのだろう。
日活に入ったら3カ月は劇団民芸で演劇勉強をやるように言われたが、3回しか行かず、マァこれが役者の基礎を学ぶチャンスを自
ら放棄したバチが後年に降りかかる。日活には同じようなタイプの石原裕次郎、小林旭の両輪がいた。でも渡哲也は先輩の二人よ
りビジュアルにかけては二人より勝っている。60年代映画産業華やかかりし頃、日活はダイヤモンドラインとして石原・小林・赤木圭
一郎がトップスターだった。この中でもビジュアル的に言えば赤木圭一郎が抜群で二人より光っていた。石原裕次郎は人間性の偉
大さ、小林旭は心身男らしさが漲っていて、二人はオーラを振りまいていた。
日活黄金時代、他に男優は悪役専門宍戸錠、アクションスター和田浩二(一時期梓みちよさんと結婚)もいたが、ひと際異彩を放っ
ていたのが二谷英明だった。若いのに老け顔の二谷さんが拳銃持ってバンバン撃っていたんだぜ。ホント不釣り合いで似合わなか
ったな。同じ子供の頃、同じ不思議な感覚を味わったのが水曜スペシャル冒険バラエティの川口浩隊長。この番組出演は適正だっ
たが、もうちょい若い頃はアクションドラマの「キーハンター」に突如出始めて、千葉真一や谷隼人と国際刑事を競った。若い頃の冷
たい目つきが犯罪ものに適しているとディレクターが考えたのか知らんけど‥‥話は渡哲也の追悼から外れて済まない。この追悼
特集には松浦寿輝氏や松田修氏などの70年代に掲載された渡哲也絶賛文もあり、目がウルウルし始めるけど、二人が共通して評
価している映画が深作欣二監督「仁義の墓場」である。本物のヤクザ石川力夫を扱ったドキュメントタッチのヒール映画である。この
時渡哲也は長い闘病(大河ドラマ勝海舟主演で倒れる)から復帰したばかりで、可成り過酷な役柄で再び病に臥した。病み上がりで
目つきが尋常でなく動きも鈍重で丁度ヘロイン薬中の主人公にマッチしたと言えば、そうも言えるが自家営業で生きる職業の大変さ
を思い知る。役者は畳みで死ねない舞台の上で死んで本望、この時渡哲也がそう思ったかどうか、定かではない。この力夫役で渡
哲也が亡き奥さんの骨を骨壺から出して齧るシーンがあるが,鬼気迫りおぞましい。
くちなしの花は良い香りで其の薫香から花言葉は「喜びを運ぶ」と言われるが、渡哲也の人生も彼が歌う代表歌のように我々に沢山
の歓喜を残してくれたな。有難う!健やかに眠り給え。

