本能寺の変〈1582年〉後、黒人侍弥助はどうなった?

 

さて問題は、この異国の黒人家来が主君信長が謀反でやられて、どういう動き働きをしたかということ。いきなり多数の敵が乱入し

 

て、信長に付いて援護死守したことだろう。然し多勢に無勢信長は矢を討たれ鉄砲にも撃たれ満身創痍の果て自刃し、その首を蘭

 

丸がはね自らも主君の後を追った。弥助はフロイスに寄れば首と胴体は敵に渡してならぬものなので、タイミングよく阿弥陀寺の清

 

玉上人が来たので、その処置は任せて、信長に依頼された刀を次代当主信忠に渡すべく、城を脱出した。しかし信忠の宿泊地妙覚

 

寺ではなく、二条御所で信忠は敵を迎え撃っていた。ここで弥助も命を張って、信忠援助に邁進したが、力及ばず信忠も父親同様自

 

刃した。

 

弥助は光秀家来に捕らえられ、刀も取り上げられてバッサリ切られるものと覚悟したが明智光秀は切るに及ばず「自害しなかったの

 

は名誉を重んじない黒い獣に過ぎない」と弥助を近くのイエズス会教会堂へ連れて行くよう指示した。弥助は南蛮寺にて療養し、こと

 

の一部始終をフロレスに語ったものと思われる。然し傷が完治して以降の弥助の動向は記録・資料もない。弥助は何処へ行ってし

 

まったのか?尤もトーマス氏の本書は殆どがフロレスの「日本史」中心であり、空想・仮説で書き上げた弥助一大伝記でもある。トー

 

マス氏は最初小説にしようとしたが、暫く温め、考え合って論文に切り替えた。確かに資料もなく、分からない部分が多過ぎる一人の

 

異国黒人の歴史を綴るのに、読む側からすればノンフィクションの方が読むとき気構えが違う。ましてや奴隷として戦国時代の日本

 

に来て、天才の武将に見初められ、家まで与えられ、扶持まで頂き、男色のお相手まで授かろうとは思いもよらなかっただろう。正

 

に地獄から天国へ舞い上げられた人生を送ったことになる。

 

栗栖良夫氏が描いた弥助。遠藤周作に弥助を扱った「黒ん坊」と言う小説もある。

また6年前にはTBS「ふしぎ発見」で弥助をテーマに番組が作られたそうだ。残念ながら見なかったな。

 

 

 

弥助は信長に約1年半仕えた。ゆくゆくは弥助に城を与える考えが信長にあったとフロイスは伝えている。にも拘らず軍議には一度

 

とて参加させていない。疑り深い信長はイエズス会にでも漏らされては不味いと判断したのかな?しかし兵としての弥助は剛力で敵

 

を投げ倒したし、インドでハブシと言う戦闘訓練も受けた軍事奴隷であった。

 

そしてヴァリニャーノのボデイガードをやる前は傭兵として実績があった模様。だから信長は他国での戦い方、ヨーロッパやアジア諸

 

国の情報を弥助から聞けるので重宝がられた一面があった。もし弥助が再びイエズス会所属で日本を出るようなことがあったら、何

 

処かの海で世界一強いと噂された倭寇・海賊と戦ったかもしれない。又信長の家来だったとして名は世界に轟いていて、倭寇船に乗

 

って黒船やヨーロッパ船を襲撃する一員になっていたかもしれないね。

 

これじゃトーマス氏と同じで創造は広がるばかりだ。来年ハリウッド映画で『弥助』が上映されたら、即テレビ番組化されるのは目に

 

見えていて、そんならもう正月特番で何処かテレビ局、やらんかね。

 

 

主演はブラックパンサーのチャドウィック・ボーズマン。11/8MyBlogで弥助情報を書き忘れたのでここに書き加えておきたい。弥助

 

は足軽ではなく小姓だった。日本に来る前ヴァリニャーノの教育で多少の日本語を勉強してきた。歳は2627歳身長は六尺二分

 

180cm以上〉ポルトガル領だったモザンビークで捕獲された模様。  ――以上。