『戦国の世 信長に仕えた黒人サムライがいた!』
身分素性に関係なく、実力次第で家来を登用する信長と言えど、まさか異国の黒人を身近に置いて信用していたとは驚きだった。別
に歴史好きで信長ファンではなかったが、黒人の家来がいたという情報は聞いてはいた。しかし多くの信長ドラマ作りでは何せこの
黒人の資料が少ないため,カットしているドラマは多かった。だが信長に仕えた黒人をつぶさに追った作者が現れた。その人の名は
ロックリー・トーマス(日本風に名乗っている)日大の専任講師で歴史を教える。イギリス人だが日本歴史に詳しい。そして信長に仕
えた黒人サムライの少ない資料をかき集め論文を書き、ネットで英語配信した。すると日本のみならず、海外の信長ファンの反響は
大きかった。特にゲームで信長をサポートする黒人サムライ(アフロ侍)をこよなく愛す外国ヤングの関心が絶大だった。その中の一
人に映画作りのアメリカ人もいて、話はトントン拍子で遂に黒人サムライの映画を作る話にまで進展した。順調に行けば来年あたり
「信長に仕えた黒人サムライ〇〇〇」なんてハリウッド映画が見られかもしれない。その時「鬼滅の刃」の興行成績を破るなんて奇跡
が起こるやもしれんね。
信長に仕えた黒人の名前はイエズス会では「イサケ」と呼ばれ、宣教師ヴァリニャーノのボディガードに雇われていた?16世紀ヨーロ
ッパで殆どの黒人は奴隷として、手枷足枷が当たり前の時代。奴隷を認めないイエズス会ではそこまではしなかったが、体屈強人柄
良く言語能力もあるイサケを船で各国を宣教する際、同行させていた。
黒人イサケと信長の接点は何処にあったのか?長い年月かけて巡察師ヴァリニャーノはアジア諸国にいる宣教師の基を巡回する
役職の人だった。ポルトガルからインドに着き、これから日本へも行かな
ければならない時、日本は戦国時代で、可成り物騒である事を日本勤めの宣教師から伝えられていた。 そこで入手したのが
黒人奴隷イサケと思われる。やがてマニラに入り、九州へ入った。 しかし日本全国に宣教するには
時の権力者信長に謁見して保護して許可を貰う必要があった。
それでキリシタン大名大友宗麟や高山右近を通して信長と堺で謁見できる手筈が整った。
さて商都・堺ではどこでどう伝わったのか、大きい船で黒い肌の牛のような人間が来るという噂が広まっていた。当時日本にも黒人
は九州当たりでは見掛けられたようだが、都に近い堺では黒い肌の人間は遠い空から降りて来る人の様だった。大黒さんも黒いか
ら御利益が頂けるのか誤解したのかもしれない。
堺に着いて宿泊地までの道のり、1000人以上の見物客でごった返した。武士迄物見遊山で沿道にひしめいたから死者まで出る大
混乱を巻き起こした。そのニュースは信長にも届いたから、巡察師ヴァリニャーノと謁見する前に、他の信用できる宣教師と共にこ
の黒人ボディガードと一瞥する機会を取った。
フロレスの「日本史」によれば信長は、黒い肌は墨を塗った南蛮人で、自分を驚かす余興だと思ったらしい。黒人を始めて見た信長
はイサケの肌を擦り、塗ってないことを確かめ、上半身裸にさせて、つぶさに検証したという.イサケは礼儀も正しく供物の受け取り
方も立派に出来て信長は自分の孫たちにも見る許可を出した。
翌日ヴァリニャーノを含め謁見し、キリスト布教を援助する約束をした。その時信長の要望かヴァリニャーノの好意か
イサケを譲渡する話になった。つまりイサケは信長の家来として「弥助」と言う名前を貰い、蘭丸と同じ小姓として信長に仕える境遇
になった。
(注)続きは後日。あしからず。弥助は本能寺の変の後、どうしただろうか?


