『チェ・ゲバラは広島に来たことがあった!!』

 

伝説の革命家チェ・ゲバラは19597月広島を訪問していた。

 

カストロと二人三脚のキューバ革命後、工業相として貿易を結ぶため、各国を巡行する中、日本も訪れていた。

 

帽子を被っているのはゲバラである。≫

 

昔々映画で『チェ・ゲバラ』(飯田橋・佳作座)を見たことがある。主演はオマー・シェリフで生前のゲバラに似ていた。その時亡くなっ

 

たゲバラの腕を切って形見にした兵士がいた記憶があるが‥‥違ったかな?

 

漫画でチェ・ゲバラを読むのは始めてだ。作画は女性だが(嶋野千恵)元々素のいい顔立ちがより一層カッコよく描かれている。矢

 

張り革命のカリスマが美男であるとついて来る同志も心強かろう。そんなことはないか。矢張り強国から弱者を救おうと言う強い意志

 

か。

 

ゲバラは革命後のキューバで安穏な生活を送ることなく、(同志カストロは悠々自適)妻子がいるにもかかわらず、若い時に誓った全

 

南米の人民の自由と解放の為、再びゲリラ闘争(ボリビア)に立ち上がった。1966年のことである。

 

この頃の南米諸国の大半はスペインから譲り受けたアメリカ資本が

 

民衆を食い物にして、粗末な生活を強いられていた。医学生だった頃、ゲバラはラグビーコーチとオートバイ(ポデロッサⅡ号)で7

 

月間もの間、オール南米〈チリ・ペルー・ブラジル・コロンビア・ベネズエラ〉を一万km旅した。そこで見たものは飢えと貧困に悩む住

 

民の姿だった。外国資本に搾取されて苦しむ原因は何処にあるのか?この疑問をずっと追ってゲバラは民衆の立場に立って戦い

 

続けた人生だった。

 

 

コロンブスの大航海時代、発見された南米にしてもアフリカにしても酷い物で、即見つけたスペインなりポルトガルが支配した。多く

 

の原住民を殺戮し(例:インカ帝国,マヤ文明)領土権をローマ法王の「両者で話し合って決めなさい」の一言で遣りたい放題に掠奪

 

して行った。ゲバラが戦ったキューバも長い間ヨーロッパやアメリカ支配に辛酸なめ子を強いられていたのである。

 

そういう経緯がやがてアジアにも及んだ。だが日本は武力を持っていたので、進出したスペインやポルトガルの餌食にはならないで

 

済んだ。

 

ポルトガルの手先として布教を装い入国したフロイスも「この国はヤバイ‼」と手強いことを本国に伝えている。

 

―――話はゲバラに戻るが、こういう反政府のゲリラ活動に対してアメリカのCIAが捕縛に協力していた。ゲバラはまんまと捕獲さ

 

れ、ボリビア政府の要請で即処刑されてしまう。時のボリビア政府は長くゲバラを拘留すると、多くの革命因子が集結や解放コール

 

を叫ばれ混乱するのを恐れた。流石にゲバラも処刑されるとは思っていなくて「捕まるのではなく戦死したかった」と悔いたと言う。

 

キューバで革命を果たした英雄をコンゴでもボリビアでもそう歓迎していなかった。ゲバラの独りよがりの夢想主義が先走ってしまっ

 

た感がある。事前の調査も打合せもなく、ただ貧しい国へ単身乗り込む姿勢だった。銃や食料、備品の準備など考えず近所へ助太

 

刀に行く感覚に近い。だが結果革命を目指す若者にはT-シャツに描かれたカッコイイ肖像画と共に口コミで広がって行った。人生

 

を貧民の為に命がけで戦い、散った39歳の生涯に謹んで賞賛の拍手を捧げる。黙祷!

 

 

≪まんが偉人伝 チェ☆ゲバラ 光文社より引用≫

 

 

≪日系ゲリラ フレディ前村を描いた映画 彼はゲバラからエルネストと呼ばれた≫