『成田空港滑走路建設阻止闘争』
先週ホント久しぶりに講演を聴いたが、日曜日にも聞いてみたい講演イベントがあった。40年前頃マスコミでも話題になった成田空
港建設に関わる、反対阻止同盟の活動の話。しかしこの日は久しぶりに日曜日が二人の休みの日になった。職場が違い、ローテー
ションが上手く一致した。老夫婦平和共存の為にも、ここは単独で行動すべきではないと影の声が囁いた。申し込みは控えて置い
て、もし天候の都合とか体調の変化で10%位の見込みがあれば、完全に諦める必要もないと考えた。幸い行き先が久しぶりに「高
崎イオン」へショッピングと意見が一致して群馬西地区へ行くことになり、成田空港案が現実味を帯びて来た。講演開催実行委員会
へケータイ電話して「午後講演へ都合で行くことはできないけど、終了までにはそちらへ出向くから、資料レジメを分けて貰えません
か?」と連絡したら「いいですよ!」と言うことだった。下記は頂いたパンフである。
昔テレビで田を耕している傍で旅客機がゆっくり前進している光景を見たことがある。トラクターしている頭上をけたたましい騒音を
上げて旅客機が飛び立つ映像もあった。これ、日本❔住民が普通に暮らす日常に巨大な旅客機が離発着しているシーンは異常と
思えた。
私ならこんな生活は耐えられない.トットと尻尾を巻いてこんな環境から抜け出す。しかしこういう生活に耐えて農業をしている人が
いると言うのは驚きだった。恥ずかしながら成田のこういう実態を知らなかった。今後多くの海外訪問客の来訪を期待して現在ある
A滑走路B滑走路に、C滑走路を加え、B滑走路を3500m拡張する決定が下されたと言う。となると先祖代々100年続けて来た農業
がピンチに見舞われる人が出て来た。さらに強硬に立ち退きを迫る動きを見せて来た。こういう実態を世の人々に広く知らしめる集
会・講演であった。成田空港はこの地に滑走路を作る時も地元住民とすったもんだあり、多くの農民の反対を押し切って、強引なや
り口で空港開港した経緯がある。今回も同じやり口で決行するものと思われる。学生運動や反体制活動華やかかりし’70年代前
後、機動隊と反対勢力がゲバ棒と衝立で衝突するのを何度もニュースで見た。又そんな血生臭い血闘が再現されるのかと懸念して
いる。平和解決は相手(親方日の丸)の法が武器のごり押し集団だからままならない。あの頃のような熱い反政府主義に燃えたやり
方は通用しない成熟した現代だから、どういう方法・作戦がいいのだろうか?
普遍的に経済発展のため大きな空港建設は必要であろう。
何の資源もない日本に観光で外貨が日本の隅々にばら撒かれれば、確かに生活は潤う。然しそのために犠牲として百年も耕し、今
後も有機栽培で安全な無農薬野菜を収穫し続けて行きたいと訴える農民の土地を
国家法の基に破壊して、無機質なコンクリート滑走路に変えてしまう計画も無慈悲で残酷なものである。これは辺野古の美ら海を否
応なく土砂で埋め尽くしてしまった一昨年のやり方に等しい。あの時偶然沖縄旅行していた私たちは地元の新聞を読んで驚いた。帰
郷して数日分溜まった内地の新聞を読むと辺野古の土砂流しは軽く掲載される程度だった。あちらは新聞一面権力の横暴を罵り,
書き殴っていた。本土と沖縄のこういう問題に対する温度差は歴然としていた。成田空港C滑走路建設も子供の様に育てて来た農
地を奪われると言う大変なこと以外に旅客機の騒音・振動は空港近辺に居住する住民にとって精神に支障をきたす重大な打撃であ
る。けどこれも
左程大きな問題としてマスコミは取り上げない。成田周辺以外の人には情報が滞っている。多くの国民は対岸の火事程度で軽く見
がちなのである。地震や台風被害等自然災害に遭われた被害者同様、人の噂も75日やがて忘れ去られがちである。多くの人々が
長く関心ある事件・惨事として経過を絶え間なく報告していく必要のある事柄である。
私もここに成田空港C滑走路の実態を記していき、大変な不幸に遭遇し、皆の力を待っている被害者の憤りを伝えていくものであ
る。
偶然見つけたメモ情報であるが、今買い物に来ている高崎イオンの場所は昔帝国陸軍前橋飛行場だった。ここも湿田良好な田園
地帯であったが、平坦で滑走するに最適な立地であった為、陸軍に特攻飛行場として接収された。歴史は繰り返す、一般庶民の悲
哀などどこ吹く風である。飛ぶとき榛名山が綺麗に見えたであろうな。多くの人間が生活を営む以上、ある日突然災厄はそっと忍び
寄ることを歴史は教えてくれる。皆さん気を付けましょう、と言っても天災や人災は防ぐ切れるものだろうか?巨象に立ち向かう蟻に
等しい。



