群馬の粉もの文化 横田雅博講演

 

2月に前橋で安美佳(アンミカ)さんの講演を聞いて以来、

 

半年ぶりの講話を玉村町歴史資料館で聞いて来た。

 

客席は横田雅博講師には気の毒なくらいの20名弱。

 

コロナで三密は避けているとは言え、厳密に言って壇蜜。

 

お題は「群馬の粉もの文化」群馬は全国で指折りの小麦生産地帯。

 

昭和の時代農村部では小さい頃から粉食に親しんできた。

 

かく言う私は群馬生まれではないので、小さい頃前橋で育った割に粉食にはそう縁が深い訳ではなかった。横田雅弘先生はおきり

 

こみの本を出しているくらいだから、粉食の中でもおきりこみには情熱的だ。教員家庭の育ちだったので昭和の時代近所の家とは

 

食事がちょっと違っていたと言う。当時農村部では夜はうどんと決まっていた。40年代頃の大体の群馬の食事は朝は御飯、昼弁当、

 

夜うどんのパターンが一般的だったようだ。そんな食生活が粉食を研究する上で大きな原動力になっているようにお見受けした。群

 

馬は水田二毛作が明治後期から傑出してパーセンテージが高かった。茨城が1.1%栃木12.4%の中で群馬は49.9%だった。兎に角

 

皮の硬い小麦を工夫して加工し、多く食べる文化はこうした好環境から生まれて行った。それが日進月歩し小麦加工の粉食を美味

 

しく食べる為に自給自足の味噌で味付けする。汁物の麵や水団(すいとん)の粉ものの調理法も焼く、蒸す、茹でる、揚げるとバラエ

 

ティに富み、饅頭や鉱泉煎餅、かりんとうなどが生まれる。昭和の初期には重曹の普及と共に饅頭やかりんとうはふっくらと仕上が

 

り、美味しく食べられるようになっていった。群馬の町おこしと粉ものの発展も桐生や館林、水沢のうどん、太田の焼きそば、

 

伊勢崎のもんじゃ焼き、藤岡のラーメン、高崎のパスタ、渋川の饅頭、沼田の団子汁、群馬県全般で言えば焼きまんじゅうやおきり

 

こみ、郷土の自慢粉もの食である。平成の時代に入るともう少し粉ものもハイカラになって玉村町たまろんスティック、前橋とんかつ

 

うどん、高崎オランダコロッケ、藤岡キムトマうどん、館林上州なまずバーガー,嬬恋村の餃子‥・・・加工しやすい粉ものはバリエー

 

ション豊かに進化していった。けどこの6つの内食べたことがあるのは一つもない。宣伝不足かこちらの認識不足か、知っているのも

 

鯰バーガーだけだ。このバーガーは以前から知っていて一度味わいたいと板倉(館林)へ行った時、店を探したが見当たらなかっ

 

た。まだ郷土で盛り上がった逸品にはなっていないようだ。

 

講義する横田氏>

 

横田先生の話で一寸面白いなと思ったのが、群馬の味噌文化の普遍性である。群馬県人はラーメンでもうどんでも味噌仕立てが好

 

きである。自分ちの自家製味噌汁を自慢する輩が結構いる。横田先生の話では味噌は各家庭で自給自足できたが、醤油は長い間

 

醸造税が掛かっていた為、一般家庭では馴染みが薄かったようである。これで味噌と醤油が同時発走していない謎が解けた。ここ

 

にどういう風にもう一つの調味料ソースが絡んで来たのか、粉食文化圏の群馬では重要な謎であって最後の質疑応答があるかと思

 

ったが、コロナ流行の御時世、マイクを手渡す時万に一チョメチョメになっては元も子もない。故にスルーと言うことでお開きと相成っ

 

た。でもまだ覚めやらぬコロナ禍、久しぶりに講演を開催して頂いただけで有難かった。私の家では饂飩を食べる時「おきりこみ」と

 

して食したことがなく、煮込みうどんと称していた。それも手打ちするのではなく市販の麵で醤油仕立てで食することが多かった。真

 

のおきりこみはすいとんと同じ分野だと言うのは、水で練って幾らか寝せてから足踏みし、麺棒で延ばし切断して食す。おきりこみも

 

すいとんも塩を入れない。饂飩はこしを入れるのに塩を入れる。いずれにしても群馬は日常でもハレの冠婚葬祭でもうどんを愛し食

 

すことが多い土地柄である。

 

左が群馬のソウルフード焼きまんじゅうである。私等子供の頃は前橋名物「焼きまんじゅう」前橋名物「甘太郎焼き」とあった。後者は一般的に大判焼である。この二つは前橋の名物と信じていた。いつ頃から群馬名物焼きまんじゅうになったのか知らない。

江戸の頃冷えた酒饅頭を串で焼いて食べたら旨かったので、店で販売するスバシッコイ商人気質の輩が看板を出したと思われる。

焼きまんじゅうは出来立ては旨いが、冷めると不味い。子供の頃、親の知人が良く持ってきてくれたが、電子レンジもない時代、冷えた焼きまんじゅうは当時我が家には有難迷惑の郷土菓子だった。