世の鉄ちゃんよ、鉄道連隊って知ってる?
私は鉄ちゃんではないので鉄道に詳しくないのだが、戦争時鉄道連隊と言うのがあったのを本で知った。1870年(明治5年)新橋―横
浜間を♪汽笛一声新橋を~♪から20年余りで日本陸軍鉄道隊は結成された。時は日清戦争真っ只中である。それが昭和になると連
隊は1~20まで増え、アジアに進出する。矢張り我々日本人がアジアで建設した鉄道となると満鉄もあるが泰緬鉄道の名が浮かぶ。タ
イ―ビルマ間415km,軌間1000㎜、ジャングルを切り開き、山岳を貫く大事業、しかも資材は現地調達、レールだってタイやビルマ
の鉄道のものを拝借して作った。使った鉄道従事者は62000人の捕虜、タイ人30000人、ビルマ人11万人、マレーやジャワから7万
人。過酷な重労働は多くの死者を生んだ。後方支援の食料も乏しく、郷土病のマラリアもあった。日本特有の精神論で外国人労働
者も精励した。強制かも知れないが‥・・・.軍4年計画が1年余で完成を見た。90両のD56 31を運び、戦時体制、物資輸送万全かと
思われたが、たった2年間の運行で終戦が来た。
この泰緬鉄道を巡っては1956年「戦場にかける橋」(デビッド・リ―ン監督)が上映された。その年のアカデミー賞を総なめし、クワイ
河マーチは名曲で映画のことは知らなくても、このマーチは皆知っている。然し映画を見た私の父は「あれは嘘だ。あの橋を作った
のは日本人だ」と憤った。映画や小説は史実を面白おかしく、自国を有利、誇示するようにデフォルメして描くのは当たり前。フィクシ
ョン仕立てにしてしまうのは一般的だ。「戦場にかける橋」はまだ戦争が終わって日も浅いので、兎角日本人は悪者に描かれた。反
戦色の濃い映画がこの時期多く作られたのである。泰緬鉄道を舞台にした「戦場にかける橋」もそうした時代を背景に作られた作品
のひとつだった。久しぶりにDVDで見たが(過去に映画、テレビ、VHSで見ている)早川雪洲がいい演技していたな。ホントこの映画
の日本兵は野卑で醜悪に描かれているな。映画ではダイヤモンド型トラス式橋梁が立派にイギリス人によって建てられているが、実
際はとても長~い鉄道路線の中の一鉄橋建設で、映画では橋作りと爆破がテーマだが、日本人がホントに作ったのは金属橋だっ
た。それに映画と違い爆破されることなく、現在でもタイで汽車が走っている。完成した泰緬鉄道の為に90両のG56 31を日本から搬
送したが、戦後日本に戻って来たG56 31は2両。その一両は靖国神社遊就館にピッカピカに磨かれて展示されている。これが泰緬
鉄道を汽笛を鳴らし、シュッシュ、ポッポ走っていたのかと思うと感動を覚える。鉄チャンなら、せめて一度本物を見に靖国神社へ行
くことをお薦めする。
ここで観覧するG56 31は本体はあっても英霊のように思えて来る……。
現在もあるタイに眠る日本人兵士、並びに泰緬鉄道に携わった人々のの慰霊塔
ネット「映画随想 安原製作所」より3点拝借、感謝。
映画の木橋。日本人捕虜500人余りで建設した、ウズベキスタン、オペラハウスはソビエト時代の地震にも崩れず、今も建っている。4~5年前その感動をマイブログで記している。日本人捕虜の誇りと団結力で建てたオペラハウスは泰緬鉄道鉄橋と共に優に百年は活躍することだろう。





