ヤフージャパンを立ち上げた井上雅弘の死

 

アメリカの本家本元ヤフーはフェイスブックやグーグルの成長でとっくに潰れてしまったが、ヤフージャパンの稼ぎは今も本社SBソフ

 

トバンク総帥孫正義を喜ばせている。

 

アメリカでブレークしたヤフー事業をそのまま日本に持ち込みたかったギャンブル経営者・孫正義は井上雅弘(以下Iとする)を連れ

 

て創始者ジュリー・ヤンとデビッド・ファイロ(スタンフォード大学生)の基を訪ねた。すでに日本から交渉として商社や幾多の通信社

 

が出資を求めて二人の基に来ていた。然し遅れながら世紀の大逆転、契約は孫正義率いるSBと交わされた。この業績は当時社長

 

室長室勤務Iの功績甚大と言われた。帰国するとIは国内で通信のスペシャリストを数多く面接し、次々ヘッドハンティング入社させ

 

た。自分が孫正義に見込まれたように‥…。ヤフージャパンはあっという間に一部上場となり、一株一億円にもなった。当時の幹部

 

の多くは濡れ手に泡で大金を手に入れた。Iは自主株を数十株持っていたので、資産は軽く見積もって何千億に膨れ上がった。

 

 

 

本書は2012ヤフージャパン社長を辞め、以後趣味三昧に没頭したⅠ氏を追っている。2017不幸にアメリカ・カリフォルニアで開催さ

 

れたクラシックカーレースで事故死してしまったI氏の無念を綴っている。この時I氏はアルコールは飲んでいなかったと思われる(レ

 

ース途中でワイン工場に入るコースの為)しかし時速100kmのスピードで若い女を隣に乗せ、男としては上機嫌でハンドルを操作し

 

ていたと推測する。不幸に不幸は重なるもので二人乗りオープンカー(1939年製ジャガー)運転でI氏はシートベルトをしていなかっ

 

た。クラシックカーレースのコース事故現場はいきなり森の中に侵入して行く、言わば幻惑を誘う場所ではあったらしい。車から半身

 

投げ出されてI氏は全身を幹幅3mあるセコイアに強打し、救急車で病院へ搬送途中息を引き取った。同乗していたプロゴルファーを

 

目指し、ハワイでゴルフコーチをしている福岡出身の女の人はシートベルトをしていたお陰で一命は取り留めた。現役のヤフー社長

 

が起こした事故なら日本でも大々的に報じられただろうが、辞して5年の歳月は誰にも知らされず黙殺された。日本社会にいち早く

 

PCサイトを伝え、ヤフージャパンの売り上げを天下のNHKや国内最強の東京電力より上回った伝説の創設者は異国で昇天してしま

 

った。I氏とはどういう人物だったのか、どのような経歴でベンチャー企業のヤフージャパンを巨大化できたのか?この報告は後日改

 

めて――――。