横山光輝コミック「徳川家康」全8巻
やっとこさ読み終えました。第7巻は盛り沢山の630ページ(第8巻は440ページ)大坂冬の陣、夏の陣は圧巻だった。
横山コミックを読むと方広寺の梵鐘「国家安康 君臣豊楽」に
イチャモンを付け一気に大坂城・豊臣家を滅ぼしたというのが、テレビドラマでは多いが、コミックでは秀頼も淀君も生かして置きた
かったとある。大坂城から他の城への移封も伝えたし、二人共その気でいた。しかし家康家臣との連絡ミスや豊臣側家臣の早とちり
もあって、三の丸から伝わって潜んでいたモミ蔵で自害してしまうという結果に終わった。家康も73歳になっていて、もう乱世は真っ
平御免だったのである。しかし問題は関ケ原の戦いに寄って、あぶれた牢人の数(コミックは浪人とは言わない)30万人が失職、そ
の殆どが食えないし、戦って手柄目当ての者ばかり。若いし優柔不断の城主・秀頼を祀り上げ、兎に角戦うよう殺気立って、豊臣家
家臣は牢人たちを抑えることが出来ず、悪者家康を成敗すると意気上がる。
家康はオランダから購入の大型大砲を大坂城に向かってぶっ放し、牢人たちが驚いて戦意喪失するだろうとデモンストレーションに
かました。しかし多くのテレビドラマではこれが戦いの合図に描かれ、徳川勢秀忠20万兵が到着すると一気に落城へ向かって戦い
の火蓋が落とされたとある。矢鱈と戦いをやろうとけしかけているのは豊臣側である。秀頼の移封先と言われた大和・郡山城を燃し
て行き場を無くしたり、堺の町の大部分を豊臣側は焼き払ってしまった。この戦いは戦う前から徳川側の勝利は目に見えていて、家
康は力づくで天下を取ってはならぬ、遺恨を残す。心服させ、従わせるに限ると家臣に伝えていた。相手は豊臣軍勢と言うより烏合
の衆と化し、大坂城に集まった15万人余りの牢人の存在だったのである。明治に入って西郷隆盛も似たような人たちに頼りにされ,
惜しい生涯を終えた。彼は薩摩でノンビリした余生を味わうつもりで帰国したのだったが‥‥。然し戦国時代終結後も明治初期も行
き場がなくなって進退窮まった幾多の人々は新しい時代の到来が冷静に認識出来なかった。
上図は17世紀のイギリス人の描いた中国地図である。著者飯塚氏の説明によると、この地図の両端には8人の人の絵がある。左の
絵の2番目と右の上から3番目は明らかに日本人傭兵を描いているという.腰に大刀右肩に火縄銃を担っている。すでにサムライが
脅威の的になっていたのでは…‥と推測する。
この前NHKの「戦国時代第2弾」を見ていたら、戦国時代が終わり世に余ったサムライが60余州に彷徨っていた。時の幕府はその
時サムライを傭兵としてオランダに売りつけた。オランダは貿易国として東インド会社を設立極東進出を図ったが、無敵艦隊を要す
スペインがアジアで領土を広げ、幅を利かせていた。日本の銀も欲しいオランダは幕府にとりなし、天下泰平軍事力がいらなくなった
日本のサムライを傭兵として、スペイン対抗に取り持ってもらうのである。
スペイン帝国はオランダの傭兵として雇われたサムライの武力でモルッカ諸島(インドネシア)等の香辛料利益を奪取される。世界で
一番勇猛果敢と評判のサムライの支援でオランダが段々ヨーロッパで強国となり、スペインの領土をオランダが攻略していった。サ
ムライの使い道は日本を離れて世界にあったのだった。こういう史料は最近オランダで発見されたものである。世界にはまだ知られ
ざる面白い資料が山と積まれ、埋もれているんですな。資料はないと知りながら、いつも様々な資料を探してもらう県立図書館2階
調査室にこの件を持ち込んだ。時間は大分掛ったがそれでも館員の方、空手では地下の書庫から戻っては来なかった。昭和38年
出版飯塚浩二著「東洋史と西洋史の間」(岩波書店)その中の項目に「銃士としての日本人傭兵」と言うのがあった。山田長政の日
本人町(アユタヤ)があったということは相当な数の日本人がいたことになる。日本製の小銃と日本刀はこの頃から評判良く大量に
輸出されたようだし、ポルトガル人の「アジア放浪記」によれば1556年、日本全土で30万挺以上の鉄砲が出回っているという記述が
あった。これではヨーロッパ勢も他のアジア諸国のようには侵略出来なかったわけだ。
尤もこの本によればサムライ傭兵を抱えていたのは山田長政でシャム国がヨーロッパに侵略されるのを長政勢が軍事力で制止し
た。〈そう言えばタイは唯一アジアでヨーロッパの植民地にならなかったナ〉よってこの功績から長政は王女と結ばれたとある。サム
ライ傭兵はこれから研究する学者が増えて、面白い仮説がどんどん出て来そうで大いに楽しみである。
「徳川家康」肖像画の中でも一番面白い。三方ヶ原で信玄にコテンパンにやられた後、浜松城へ戻り描かせたという。今後の戒めとして二度と惨めな思いをしないように…‥でも嘘くさいと思っていたら、矢張り異説もあるようだ。

