太陽にほえろ!「ショーケンと優作」其の二:優作編

 

ショーケンも優作も裕次郎も知らない日本人が多くなって来て、書くのが心苦しい。でも記録に残すと言う使

 

命感に駆られて、二人目の松田優作について、著者岡田晋吉プロデューサーの見解を書いてみる。この頃のテ

 

レビ界は新人を使うことが常套手段だった。

 

噂や口コミで魅力的な役者がいれば直接見に行って、大丈夫だと判断すれば即主役の座は約束された。優作と

 

同じ文学座の中村雅俊も岡田プロデューサーが受け持った「これが青春だ!」の教師役・竜雷太も新人でいき

 

なり主役に抜擢され、人気者になった。私も高校生の頃部活活動の余興で歌を歌わせられると、決まって「こ

 

れが青春だ♪」と「中学校校歌」♪を唸った。歌手が後に霧の摩周湖♪でヒットした布施明だと知ったのはず

 

っと後のことだった。新宿でバーテンダーのアルバイトをしていた優作も岡田プロデューサーのお目に適った

 

逸材。噂は文学座の先輩村野武範(飛び出せ青春‼教師役)の情報だった。

 

色々短所もあり、先々のことを思ってアドバイスすると「はい!」と返事はいいが、直したことはない頑固さ

 

があった。服はジーパン一つしか所持しておらず、幾つか買い与えたそうだが、皺くちゃにして着ない。

 

185cmと言う長身だから当時このサイズの服は日本ではまだ売ってない状況だった。因みに優作演じる柴田純

 

刑事の綽名はジーパン刑事。地そのままである。優作は原田の芳雄ちゃんを尊敬していて、何でも全て芳雄ち

 

ゃんの真似をしていた。そう言えば声も似ているな、ド太い声で…‥。私が一番優作の映画で感心したのは森

 

田芳光監督「家族ゲーム」だった。優作は家庭教師の役をやっていて、強面の役がとてもあっていた。この映

 

画で日本アカデミー賞優秀主演男優賞を貰った。名実ともに名俳優になって行く。ショーケンのことも陰なが

 

ら尊宗していたようで、一年でショーケンのように殉職して「太陽にほえろ!」から去りたかったようであ

 

る。どうもこのようなドラマ作りをB級と考えていたようだ。新米刑事のオープニングは破天荒に無銭飲食で

 

七曲署の留置場から出勤。

 

フィナーレは白装束の服を真っ赤な血で染めて悶死すると言う、ダイナミックな死に方だった。「なんじゃ、

 

こりゃ~!」手についた血を見つめるシーンは、今でも優作の真似をする芸能人の伝説になって受け継がれて

 

いる。

 

当時はまだハリウッドへ進出する日本人俳優が少ない中で「ブラックレイン」出演は輝かしい。でもあのやく

 

ざ役は不気味でサイコ。しかしその頃病魔は忍び寄っていて、治療に専念していれば、まだ映画やドラマで活

 

躍したと思われるが、ハリウッド映画との出会いが命を縮めたとも言える。一直線に進まねばならぬ一途さが

 

全人生を捧げて突っ走ってしまったのだろうか?

 

走るシーンと言えば岡田プロデューサーも共演した竜雷太も走る姿はカッコよかったと絶賛している。指の先

 

から腿の上げ方まで入念に計算して、よく映るように苦心したと言っているそうだ。そこがショーケンと違う

 

所で、彼は全速力、ドラマに臨場感をそのままお茶の間に届けるよう苦心した役者だった。それまでのドラマ

 

での走るシーンは見せ掛けで撮影していた。一生懸命走るなんてとんでもなかった。ショーケンがいい意味で

 

変えたと言われる。優作の走る姿がカッコイイと言うので岡田プロデューサーが考えた企画がユニークだっ

 

た。タイトル「華麗なる追跡」世界一速い女と世界一速いように見せることができる役者の競演。短距離走オ

 

リンピック金メダリスト(ソウル)のフローレンス・ジョイナーと優作が犯人を捕まえるストーリーだった。しかしそれを優作が筋立て

 

を変えてしまった。怒ったジョイナーは帰国すると言い出すし、脚本を何故優作が変えてしまったのか岡田氏

 

も怪訝に思った。それは既に走る事さえ儘ならぬほど病が重症になっていたのだ。膀胱がん40歳の若さだっ

 

た。そして最後は花形役者、石原裕次郎に付いて語った岡田プロデューサーのお話は次回―――

≪画像は2枚共岡田晋吉著より引用≫