太陽にほえろ!「ショーケンと優作」其の一:ショーケン編
日本テレビ「太陽にほえろ!」のプロデューサー岡田晋吉氏が14年間続いたドラマの数々のエピソードを綴っ
ている。先ずはショーケンについての叙述から―――
「太陽にほえろ!」がボスの石原裕次郎の病によって完結を余儀なくされた。ここまで長寿番組になるとはプ
ロデューサー始め制作スタッフも最初予想だにしなかった。岡田氏は素直に認めて、これまで人気を博したの
はショーケンのお蔭だと言っている。
先ずテーマ音楽の作曲に大野克夫氏を推したのはショーケンであり、オープニングのテーマにロック系を使う
と言うのは、当時画期的な試みだった。あの独特なフレーズは即番組開始と共に曲が流れただけで、痛烈なイ
ンパクトを与えた。
後新人刑事が殉職をして次々と新しいキャラクターに引き継ぐ、当時タブーとされたアイデアもショーケンが
生み出したものだった。
これはショーケンが岡田プロデューサーにこのドラマを辞めたい、辞めたいと顔を合わす度にごねた。
兎に角ショーケンは若年でスターだったから我儘で自己主張が強く、脚本家の選出や演出、配役の選考にまで
口を出す一俳優であった。然し制作側はショーケン出演で長く高視聴率をキープしていたので、いきなりショ
ーケンがいなくなり、新しい刑事で番組が持つか大反対であった。そこで自らショーケンが発案したのが、殉
職したらどう?と言うことだった。それもカッコよく刑事が死ぬじゃなくて、無様に犬死。そういう殉職シー
ンをショーケンは進言し、事実実行した。立ちションベン中刺されて呆気なく死ぬ。(ケッコー長いシーンに
なったと言う)
≪岡田晋吉著から引用:2枚≫
兎に角歌の世界から入って来たスターだから我が物顔、本質的にヤンチャだから、自分の意志貫徹することが
役者魂だった。歌から来たから他の人にはなれない。自分そのものを打ち出す。演技ではなく地を放出するド
ラマの中の私。当時長髪の刑事などいない時代にスズキジムニーで颯爽と登場。早見新米刑事は綽名を「坊
や」と予定されていたが、その呼び名に断固反対。それが撮影日に起きた。
三つ揃いにノーネクタイで現れ挨拶する姿を見て、岡田プロデューサーは苦肉の策として綽名を「マカロニ」
に変えた。最近亡くなられたエンニオ・モリコーネ作曲「荒野の用心棒」♪クリント・イーストウッドのいで
立ちに重ね合わした。ショーケン当時22歳、坊や何てとんでもねぇ~。それはそうだ。ショーケンは早見刑事
を演じるのではなくては萩原健一をやるのだから…‥。
其れとよくドラマの中でたばこの吸い殻を捨てたり、齧っていたリンゴをいきなり捨てると言う、ショーケン
独自の演技があった。
然しゴールデンタイムの8時台にこのシーンを流すと真似する輩もいるし、クレームの電話もジャンジャン鳴
って来る。そこで岡田プロデューサーは編集の段階でカットした。するとショーケンは勝手にカットしたこと
に怒り、そこまで入念に考えた演技であると主張。随分二人はカットのことで他にもやり合ったらしい。然し
夜8時台➡プロレスの後引き継いだんだそうだ。
高視聴率の番組で吸ってる煙草捨てのシーンは許されなかった。
(我々の古き時代は煙草が市民権を得ていて、仕事中でも映画館内でもヘビースモーカーはスパスパタバコを
吸っていた)
煙草はドラマの中の小道具として大いなる役割をしていた。
次回書く予定の松田優作も殉職シーンは煙草を咥えて永眠だし‥‥。
退院後最後の太陽にほえろに出演したボス裕次郎は取調室で一服旨そうに煙草を吸った。まき子夫人にも医者
にも止められていた紫煙を5年ぶりに燻らせた。
痛烈な個性ショーケンと岡田プロデューサーの遣り取りは読んでいて痛快、ジージと孫の遣り取りに近い。結
局勝利するのは孫。ジージは可愛さ余ってわがままを許す図である。さて次にこのショーケンに負けず劣らず
喧嘩っ早い問題児❓松田優作が控えている。岡田プロデューサーが言うにはこの当時無名の優作の発見がショ
ーケンの代役になるだろうと言う確信があった。ショーケンなき後再びはみだし刑事が七曲署に配属されてく
る。それは次回。
https://www.youtube.com/watch?v=oj02ew0u4k8


