『麒麟がくる 今川義元上洛ならず!』
大河ドラマはここで中断して、昔の伊達政宗や国盗り物語を放送している。いつになったら明智光秀が画面に
出てくるのか?
尤も今回主人公は明智光秀の筈だが、斎藤道三より影薄く、
再開されても今度は織田信長の輝かしい活躍が連続して、長谷川光秀はキリキリ舞いさせられそう。金冠頭幾
ら信長に撫で撫でされても、以後長篠の戦い、ついに上洛とキリギリス光秀の出る幕はなさそうである。憐れ
初の大河ドラマの主人公明智光秀。いざ煩悩痔に悪い!
上洛と言えば、今川義元念願の西にある京の都。東の脅威武田氏や北条氏とは同盟を結んでいたので,西に一
直線尾張を蹴っ飛ばして上洛の構え。
応仁の乱後、京の都は荒れ果てて、天皇の立場も地位も陥落し、朕はおどおどするのみ。内裏(天皇の住ま
い)が徐々に大きく様変わりするのは、信長の権力が末端に浸透し特異な存在に活用を見出してからである。
戦国大名は飾り物の朝廷を滅ぼすことは容易かったが、官位を授けてくれる昔からの慣習は捨てがたかった。
元々身分の低い所から下剋上でのし上った武力のみが救い。織田家は守護大名の下の守護代のまたその下の家
臣の出身。斎藤道三は薬屋家康の先祖も乞食坊主。民衆や敵方や兵に納得し跪いて服従させるのに、肩書はい
つの世も必須アイテムだった。
それは現代でも通じる話で、人は昔からその点で護身防衛本能を備えていた。当然家臣の忖度も家老の主君を
守るための改竄・捏造は日常茶飯事。令和の右より政治家安倍ちゃんだけの悪癖ではないのである。
14世紀頃の内裏は60m×120m位の粗末なもの。信長や秀吉が助力してより大きく、広く内裏を拡大して住まわ
せた。さらに天下は安定して平和になると徳川家も天皇を粗末にはせず、幕府の権威を見せつけるように京都
御所から年一回例幣使を日光に遣わせた。
尤も京都御所と呼ばれるようになったのは明治時代からで、その前は内裏、禁中、禁裏、九重、百敷、雲の
上、皇居と言われるように、古来から色々な呼び名で呼ばれた。
天皇家が民衆に一目置かれた出来事を一つ。
天明7年(1787)天明の大飢饉の年。食糧難で民は疲弊していた。
京都町奉行所に救済を嘆願.幕府は無視。そこで民衆は嘆願の矛先を御所に向けた。賽銭を投げ込む御所千度
詣りはやがて7万人もの群集に肥大し、全国でも飢餓窮民は動きだした。時の光格天皇をして京都所司代を通
じ、窮民救済を働きかけた。
幕府はやっと重い腰を上げ、救い米1500石(225トン)を出し、上皇や公家たちもリンゴや握り飯を殺到する
民に配ったそうだ。
その時歴史は動いた!(そんな某局の歴史番組がありましたね)
天皇の存在が民に好印象を受け、やがて幕末の尊王運動への一因にもなったとさ。めでたしなのかめでたくな
しなのか、その後の歴史に注目!吉と出たか凶と出たか、結果の良し悪しは100年以上経たないと評価は霧の
中。現在の安倍ちゃんの為政もそういうことかもしれない。そんなこと絶対にあるかい❕(陰の声)
参考文献:イラスト京都御所 下間正隆著 京都新聞出版センター 2019年



