作家・三島由紀夫回想
コロナウイルス全世界蔓延の為、日本では次々講演やイベントが中止され、挙句の果て大都市では非常事態宣
言が発令され、人々の活動範囲が停止された。大都市以外の市町村でもスーパーマーケット以外は戒厳令下の
夜状態である。私が何てたって一番困ったのが、図書館の休館だった。ちょくちょく足繁く通うのが図書館で
あり、
地元の新聞を読んだり、新刊の面白い本を借りて来たり、blogのタネ50%以上は図書館から生まれると言って
も過言ではない。
人生行路の中で50年以上長きに亘って、図書館を活用させて頂いて来た。10年近くやっている科学雑誌「ニュ
ートン」アンケートも図書館で読んで、編集部へアンケートを送信する。然し今春はコロナウイルスに邪魔さ
れて、結局本屋で立ち読みしてアンケートするしか手段がなかった。大手本屋もガラガラで読みやすいと言え
ば、そうも言えるが知識と文化の殿堂「本屋」の経営が大変である。
なら一冊買ってやれよ、と言われそうだが、もう人生蔵書はしないと固く決めている。本は昔から古本屋で買
い、古本屋へ売り戻す家に本を置かない主義。今一番困ったのが三島由紀夫を読みたくなって図書館で借りら
れないこと。
三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地でアジって野次られて、自決してから50年経った。今ドキュメントで「三
島由紀夫vs東大全共闘」が話題だ。1000人と一人対峙した三島由紀夫も凄いが、私は当時10代でこの事実は知
らなかった。けど駒場祭には何度か行った。
近くに近代文学館があったからである。私の受験年は東大安田講堂騒動で東大受験が始めてなかった年であ
る。翌年私の知人が何人か東大に入学したが、まだ学生運動は学内でくすぶっていた。三島由紀夫が東部方面
総監を人質にして、自衛官を巻き込みクーデターを企てたがままならず、氏は自らのシナリオ通り割腹して、
日本や世界を震撼させた。世間は自作自演の大芝居と憫笑する文化人もいた。然し命を賭けた直訴はそう誰で
もやれる所業ではないと思った。
三島由紀夫は多くのノンポリに国家を愛する気持ちを喚起させた作家であると思った。その年(1970 )の3月左
翼系の学生がよど号を乗っ取り、彼ら言う所のパラダイス北朝鮮へ旅立った。右翼系の学生はこの行動に敗北
感を味わった。天皇を頂点として日本国家の安寧を願うべく、天皇崇拝者三島由紀夫が空前絶後の行動を取っ
たように思えた。多分赤軍派田宮高麿等がよど号ハイジャック事件が無かったら、まだ三島由紀夫は生きてい
てくれただろう。私が三島由紀夫作品を読みだしたり、三島氏の生涯を綴った週刊誌特集号を買い漁りしたの
は、本件が契機になっている。「憂国」「仮面の告白」「金閣寺」…‥評論や台本。当時読後共通して感じた
ことは語彙の豊富さと紡ぐように編む文章の巧みさ。三島由紀夫が文壇に登場した時は西洋かぶれ主義だっ
た。住まいも洋館の佇まいだ。しかし世界に訴える日本の美を伝える為又、ノーベル文学賞を受賞する為に
は、
戦略を変える必要を感じた。日本古来の伝統美や極東文化を名訳のドナルド・キーンに賭けた。川端康成がノ
ーベル文学賞を受賞したがそれはキーンさんの業績無くして叶わなかったろう。日本の難解な様式美を青い目
の審査官に英語で伝えるためにキーン氏は粉骨砕身した。テーマも男色要素を加えるデフォルメ。三島氏の私
生活は同性に興味あるように見せかけ、実は多大に異性に関心が強かった。
それは何年前だが岩下尚史氏の(通称ハコちゃん)三島由紀夫の人物像を読んだ時感じた。出版社から金を借
りまくって芸者の娘と毎晩秘密のランデブーを繰り返した。「ヒタメン 若き日の恋 三島由紀夫」に詳し
い。三島由紀夫にはもう少し長く生きて、日本の文化人として世界にもっと日本の良さを伝えていって欲しか
った。
私は三島由紀夫が亡くなったその年、三島にかぶれ、上野アメ横で刃のない日本刀を買った。私は若年の頃作
家坂口安吾を心酔していたが、作品は兎も角三島氏の行動力に頭が下がった。言行一致の精神は誰でもなせる
業ではない。三島作品はストーリーは映画向きに作られるのだが、文章は難渋、(大江健三郎ほどではない
が)語彙はよく辞書を引いて調べた。
谷崎潤一郎、芥川龍之介と同じボキャブラリーの豊富さが作風だった。でも遠い昔こういう文章、何か読んだ
ことがあるような気がして、親父に聞いたことがある。「昔、三島由紀夫の小説読んだ?」
「そ~な、あるかも‥‥」でも親父は三島由紀夫と同世代で,親父が読んだ記憶が脳に残って私に遺伝したわ
けではなかった。でも不思議に読んでいて始めて読んだ気がしない、と思ったのは何なのだろうか?50年経っ
ても答えが出ない。

