実存主義とホームページ | ホームページ集客+α|櫻井裕介

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実存主義


突然ですが…

フランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトルは、「実存は本質に先立つ」としました。


(ここからウィキペディアより)

もし、すべてが無であり、その無から一切の万物を創造した神が存在するならば、神は神自身が創造するものが何であるかを、あらかじめわきまえている筈である。ならば、あらゆるものは現実に存在する前に、神によって先だって本質を決定されているということになる。この場合は、創造主である神が存在することが前提になっているので、「本質が存在に先だつ」ことになる。
しかし、サルトルはそのような一切を創造する神がいないのだとしたらどうなるのか、と問う。創造の神が存在しないというならば、あらゆるものはその本質を(神に)決定されることがないまま、現実に存在してしまうことになる。この場合は、「実存が本質に先だつ」ことになり、これが人間の置かれている根本的な状況なのだとサルトルは主張するのである。

(ここまで、ウィキペディアより)


つまり、どんな服を着るのか、どんなヘアスタイルをするのか、どんな考え方を持つのか、
そういったことは誰かに決められてやることではない―、ということです。

このような考え方を根拠にして、サルトルの妻は、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉を残しました。

生まれてすぐの人間は、そんなに違いはありません。

しかし人間は、自分がどういう人間であるかを主張するために、姿格好やしゃべり方や考え方などで、他人との違いを作ろうとします。

「私はこんな人間なのよ!!!分かってくれる!?」って感じですね。

でも、ちょっとしたことではその違いを作ることは出来ませんし、目立つこともありません。
少しぐらい大げさにしないと、違いを違いとして受け取ってもらえないのです。

これはホームページにも言えることです。

ホームページ上で伝えたいことは、実際にはそう多くはないはずです。

でも、あの手この手を使って

「自分は他とは違うんだ!」

と主張しないと、他との違いなんて作れないんですね。

「誰かにいつかは分かってもらえるはず…」

なんて思っていても、
結局は誰にも振り向いてもらえません。

人間も生まれた時に違いがほとんどなく、
死んでしまったらもっと違いなんてなくなるのですから
生まれた意義を自分の中で明確にしないといけないなと、
自分自身に言い聞かせています(って言うほど思い詰めてませんが…。)

ホームページも作った意義ってやつをはっきりさせないと
なんだかもったいないな~って、思います!
生きているんだか死んでいるんだかよく分からないホームページがたくさん存在しますからね。そのようなホームページの方がきっと多いはずです。ただそこにあるだけっていう状態。生まれたままの姿。

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」

男もそうですし、ホームページもきっとそうです。

それではまた!