昨日 今日と 娘の通う中学校は
後期中間テストでした。


昨日は、ずっと一緒に勉強しました。

今日は、さっそく部活。

朝お弁当を持って学校へ。

久々に帰りが遅い日であります。


今回の中間テストも勉強を一緒にしました。


私の娘は、1聞いて10知るタイプではありません。


要領も悪く、導きがないと路頭に迷うタイプ。
だから、毎回テスト範囲が配られると
私が

「いついつまでに、これとこれをやる」

という指示をし、

確認テストや、ワークのマル付けも

私がやっています。


母親がここまで携わることに

賛否両論あるのは重々承知していますが、
こうやって私たち親子は過ごしてきました。

そして、この状態は、今度もしばらく

続くことになると思います。



・親が関わり過ぎると、子どもは自分で考えなくなり
結局、指示されないと何もできない子になる。


・母親が面倒を見過ぎるから

子どもは考える力が育たない。


そうかもしれません。


けれど、私がそれ以上に恐怖を抱いているのは
幼い奥手の娘の『自立と自律』が育つのを

辛抱強く待っていたら、

『自立と自律』が育つ前に、受験を迎え、

間に合わないまま失敗すると言うこと。

このことが、自分の経験から、わかるからです。


私も、心軟弱な、とても幼い中学生でした。
「やらなきゃいけない」

ってわかっているのに、
何をどうしていいかわからない。


自分を律することもできず、

気づくと目の前にある漫画を読んでしまったり

両親は仕事で家にいなかったので、

それをいいことに、テレビばかりみて、

勉強なんて自分からはちっともしない。

まさに、自主自律ゼロの中学生でした。


そして、高校受験見事に失敗をした。


四半世紀前の出来事でありながら、
その時の惨めさは今も鮮明に残っています。


もし、あの時、こうしていれば、、、


過ぎた日々は二度と戻りません。



今そのことを、還暦過ぎた自分の両親に対し
どうこう思う気持ちは、ありません。

そう思えるようになったのは、

自分が母親になって

思う存分、自分の子どもを

自分の手で育てられているからなのではないかと

思っています。


自分がしてもらいたかったことを
自分の子どもにしている。


ただそれだけなんだけど、
そのことが、私にとって、

どれだけ心の浄化に繋がっているか。


しかも、これ幸いにして、

娘は、要領の悪さ、幼さが、

当時の私とそっくりなのです。


たとえば、私が時々忙しくて
娘のTODO手帳に何も記していないと、
机の上で


「ボーーーーー船ぼー

↑何やったらいいのか、わからない。



私は慌てて
「ごめんね。今日はまだ何も(手帳に)記入してなかったね。
今日は、これとこれをやれば?」

そう言われてやっと起動し始めます。



やっぱり、指示がないと何もできない子になっちゃった???


いえ、、、


そうじゃなくて、、、


そうなったのではなくて、


そういう子なんです!!!



もし、1聞いて10学ぶタイプの子で
親の干渉を疎ましいと思い、
生まれながらにして魂レベルが

めっちゃ高い子だったら
私も(バカじゃないので)それなりに
違う関わり方を考えたかと思います。


娘がどんどん自分で勉強法を開拓し、

言われなくても自分から勉強し、
自分1人の力でトップの成績をおさめられる子だったら
今頃、学費を稼ぐためにパートに出てたかも。

そういうアプローチにしていたと思います。


つまり、子どものタイプによって、

親の関わり方は、かわってくるものなのです。


現に、部活動にしろ、友達関係にしろ、
本当は心配で心配で、
首を突っ込みたくて仕方ないけれど、


「これは、自分で乗り越えられる試練だ!」


そう思える事に関しては
聞き役に徹し、判断も出方も
娘にまかせています。


あたしが首突っ込めば余計にこじれるからね。苦笑



しかし、こと勉強に関しては

本当に導いてあげないと、

手を差し伸べてあげないと、

私と同じ棘の道を歩むことになることは

火を見るよりも明らか。



見守るだけでは足りない。


待っていては間に合わない。



お節介と言われても、

やり過ぎと言われても、

最後まで見捨てず、

責任を持って、

私は娘を助けていきたいと思っている。



娘が「もういいよ」と言うまで

子どもの勉強と関わり続けて行こうと思っています。




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三連休は、ちょっくら家族で温泉に行ってきます。温泉

それが終わったら冬休みの勉強計画

考え始めようと思います。