今日から、いよいよ新学期が始まりました。


新学期早々、雨が降っていますが、
子ども達は傘さして、
元気に学校へ登校してゆきました。


娘の方は、

8月下旬からずっと部活があり
学校へは行っていたので、
あまり今日から新学期って感じはしないそうです。

お盆明けあたりから、

「あ~もう休みは終わりかぁ~
9月の期末テストやだなぁ~」

と思っていたらしいです。


憂鬱になるの早すぎだよ苦笑



そして、今日から9月。

新聞に、新学期を迎える9月は
小中学生の自殺が多いと記事にあり、
9月1日は、何かと憂鬱な日にされがちです。

観てないけど、『朝イチ』でも放送されてたみたいね。



ここだけの話、、、実は、私も、娘に、

「なんか、うちって、生きてる価値あるのかな?」

って言われたことがあります。


寝床で電気も消して「さあ寝るぞ」って時に
そんな話をしてきたので、ドキッとしました。

目が覚めちゃったよ。


きっと、部活のことで色々悩んでいるのでしょう。

(ひょっとして、母親である私との関係も?!汗1 )


「そんな部活、やめちゃえば!」
って言うのは簡単。汗


でも、やめるかどうかは娘が決めることだから
それは思っても口にはできません。


そんなこんなで悩んでる時、

生きる価値があるのか、そう言われ、


寝床で一時間以上も
娘とボソボソしゃべりました。

隣で息子は寝息をたてて寝ています。


娘に向かって大人びたことを

諭すように言ったところで、
どうせ見抜かれるだろうと思ったので、

嘘偽りない正直な気持ちを娘に伝えました。



生きてる価値、、、あんのか?自分・・・。


ママも、年がら年中、そう思う時があると。

そう思い始めたのは、

ママも中学生くらいの時で、
中学、高校の時は、

しょっちゅうそう思ってた。


ブスだし、頭は悪いし、

男子にはバカにされるし、
数学のS先生はできる子ばかり贔屓するし、
ママの好きな○○君は、

ママじゃなくて
ママの友達の♪♪ちゃんが好きだったし、
廊下で○○君がママに向かって手招きするから
○○君の方に行ったら、
「おまえじゃねーし」
とか言われたことも

娘に話しちゃった。



それに、ママは、リサよりも
はるかに勉強ができない中学生だったから、
自分の希望する高校なんて、
とてもじゃないけど行けなかったし、
今と違って中学校の先生は
もっともっと威張ってて、
ママが勇気を出して、
行きたい高校の名前を言ったら
鼻で笑われて、、、。


今じゃ信じられないかもしれないけど、

「は???おまえが?○○高校?」


みたいな感じは普通にあったんだよね。


両親からも怒られてばかりだったし、
みんなに見捨てられてるような気がして

ママもママで、ちっとも素直じゃなくて、

へそ曲がりで、変なプライドだけは高くて、

すぐに「どーせ」とか言ってる

可愛げのない超やな感じの中学生だったの。
こんな、ママみたいなバカ女
生きてる価値、全然ないじゃん。
そう思ってた。



いまだって、
超暑くかったり、

辛いと思うことがあると、


「ああ、理研の笹井さんは

この殺人的な酷暑を、

こういうつらい経験を
もうしなくていいんだ。

死んでラクになったのだろうか?」


とか思うしね。



ママと同じ年で、おしゃれで、きれいで、
仕事もしてて、お金持ちで、

活き活きしてて、輝いていて、
それだけ自身が活躍しながら、
子どもが3人もいて、3人とも出来が良くて、

「子どもの勉強なんてみたことないわ」

みたいなこと言っちゃって、
それで、子どもは一流校受かりました。
なんて聞くと、羨ましいを通り越して、
妬ましく思う気持ち
やっぱりムクッと出てきたりするよ。


こっちは、苦労して、あれこれ悩んで

子どもの面倒みてるのに

それなのに、おいしいところは

彼女が持っていき、こっちは伸び悩む。


美しさも、仕事も、お金も、輝きも与え、
さらにそれに加えて、

全体の一割しかいないであろう
放っておいても出来る

優秀な子どもを彼女に与えるなんて、
神さまってすごく不公平じゃんとか思う。


そういう気持ち、ママだって持つんです。


努力すればいいとか、努力が足りないで
片づけないでほしい。
努力しても報われないことなんて
いっぱいあるんだから。


すごいでしょ。ママ。

あまのじゃくみたいなこと、思ってて、

そう思う時、ママにもあるってこと。



「ママはそういう時どうしてるの?」


「自分で自分をなぐさめてるよ!
こんなだけど、ゆきこはゆきこで頑張ってるじゃん」


って。


人を羨ましがったり、

自分の環境や運命を恨んだり、
そういう醜い気持ちを前面に出して
あの人はいいな、それに比べて自分は
なんて言って、
「生きてる価値、あんのか?」
と声高々に、そればっかり言ってたら
それこそ、みんなにバカ扱いされるのは
目に見えてるじゃん。



だから、ママは思うだけで、
あんまり言わないようにしてる。


そういう気持ちがムクッと出てきたら

あ~、今、自分、弱ってるんだな。
ヨシヨシしてあげないといけないなぁって。

・・・・・・


娘はいつになく、根掘り葉掘り聞いてきました。



そして、今は、自分で自分をヨシヨシできるけど
中学生の時はどうして生き続けることができたのか

質問してきた。


答えは単純。


「まあ、とりあえず、岡田有希子が生きた分は
生きてみようかなって」


「誰それ?」


岡田有希子が誰かを説明して、


美人でも可愛くてもきれいでも
けして、それが生きる活力のすべてではないってこと。

人知れず、悩みがあり、苦しみがあるんだってこと。


彼女こそ、生きてる価値があったはずの

みんなに想われてる人気アイドルだったのに、

その彼女が生きてる意味を見失って、

自分は生きてる価値がないと思って、

命を絶った。(←推測)


生きてる価値があるかないかは、

そう簡単に決められるものではないし、

と、同時に、生きてる意味だって、

そう簡単に見つけられるものではない。


見つけられないなら、見つかるまで、
意味なくたって、生きてゆくべきなのよ!


若い頃は、自分がどれだけ価値のない人間かを
実感することはあっても、
自分の生きる意味は、なかなか見つけられないまま。


わからないままだけど、

それでも、まあ、

とりあえず、18歳まで生きてみようかな、


それが過ぎたら、


おばあちゃんが成人服の着物を
用意してくれたみたいだから、

まあ、とりあえず、

二十歳まで生きてみようかな。


それが過ぎたら、


じいじが親戚を呼んでどうのこうの言ってるから、
まあ、とりあえず、

結婚するまでは生きてみようかな、

って。


要するに、ママの場合は、

おばあちゃんの愛情に支えられ、
じいじ孝行しようという気持ちで、
生き延びることができたんだね。


で、
パパと結婚してからは、この人といると、
ただ、楽しいから、ただ、面白いから、
意味なんかなくてもいいやって思ってたし、


そのうち、

子どもが出来て、リサを産んで、
それからは、ガラリと考え方が変わって、


この子を育て上げるまでは死ねない!

死にたくない!



そう思うようになったのよ。


で、今よ・・・。



ヒデが生まれてからはなおさら、

その気持ちが強まるばかりで、

いまじゃ、ママは、

アンパンマンに出てくる、

ドキンちゃん状態よ。


(【注】アンパンマンのCDに

「わたしはドキンちゃん

この世の終わりが来た時も

わたし1人は生き残る~」。

って歌詞があるんです。知ってる?)



今の状況を考えてみると、
ママにとって、

生きる価値があるかどうかは

ママにもわからないけれど、


生きる意味とか
生きる活力とか希望とかって
全部、あんた達からもらってるのよ。


それまでは、
もう、自分はイヤだ。

今度生まれ変わる時は美人で
頭のいい人間に生まれ変わりたい。
ってそう思ってきたけど、

今はそうは思わないもの。


それに、子どもに対しては、

生まれ変わりとか、

取り換えとか全く望んでない。


もし、神さまに


言われなくても勉強して、

とっても優秀で、
今のリサみたいに

ママに対して生意気な言い方しない
優しい、可愛い、

誰もが認めるきれいな女の子と
取り換えてあげます


って言われたって
ママは断るもん。


リサがいいです!って。



反抗してもですか?
負けずに戦いますから!


勉強した分の結果が出てない

テスト結果を持ち帰ってきてもですか?
また勉強し直しますから!



高校に落ちてもですか?
奈落の底に落ちても私が助けます!



ってね。



だから、

自分は生きてる価値がないじゃないかと

不安に思ってる間は、

ずっとママのそばにいれば?



そう伝えた。



なぜ、

生きてる価値があるのか?
生きてる意味あるのか?

そう思うようになったのか娘に聞いてみたら、


やっぱり、未来が不安なんだって。


行きたい高校に行けるかどうかわからないし、
社会の時事問題で、
集団的自衛権とか、憲法改正とか習うと
これから戦争が起こるんじゃないかって思うし、
そしたら、
『大人へなれなかった弟たちへ』
みたいになるんでしょ?
地理でも歴史でも勉強すればするほど

争いや戦争ばかりで、
この島はうちのだ、いやうちのだって
みんな、いまだに解決してない。


それに追い打ちをかけて、
部活では先輩が意地悪ばかりしてきて、
勝手に文化祭の配役をかえたり、
陥れるようなことをしてきたり、
それは友達同士で頑張ってるらしいけど
「マジ消えてほしい」
って思う先輩もいるらしい。
「その先輩もどこか寂しかったり、
不安だったりするのかもよ」
「なんか、そんな天使みたいなこと、思えないんだよ。
そんな自分もイヤだったりするんだよ」



・・・・・・


と、こんな、まとまりのない、

起承転結、論理性のない会話を

寝床で一時間近く・・・・・。


でも、親子の会話ってこんなもんなんじゃないかな。

それこそ、話してる途中で

何言ってるんだか、

何の話をしてたのか、わからなくなるような・・・。



それにしても、大変なんだね。
13歳って。



でも、私も、13歳の時から
ずっと、鬱々と悶々としながらも、
生き続けてきたわけだし、、
日の目をみることがなくても、
大富豪にならなくても、
こうしてのらりくらり
なんか幸せだなって思えるような
人生になってるわけだし、
感謝すべきことも、
年を重ねれば重ねるほど
たくさんあって。



だから、今は、
バチバチして、とっても痛い
毎日かもしれないけれど、


中学生、どうか、どうか、
生きて生きて生きぬいていってほしい。



若いうちは、


つらかったら、逃げたっていい。

人のせいにしたっていい。

時代のせいにしたっていい。

社会のせいにしたっていい。



今は、ただ、生きぬいていてさえくれたら。