毎週かかさず観ている『八重の桜』


テレビを観ながら、

娘がポツリと私に疑問をなげかけた。



「八重って、人殺しなんだね。なのにどうして?」



城を守るためにいたしかたなく・・・。


弟の仇をうつためにしかたなく・・・。


会津のためにしかたなく・・・。


時代背景を考えればこの時代しかたなく・・・。



だけど、私のその説明では、どうも腑に落ちないらしい。


「しかたなければ、鉄砲を持って人をうってもいいってこと?」

「だって、うたなきゃ、自分が殺されちゃうじゃん」

「佐久(八重の母)や、うら(兄嫁)は、鉄砲で人を殺してないじゃん」


この時代に、人を殺さない女性もいたのだから・・・。

戦うことすら許されず、歯向かうことすら許されず、

やられるだけの女性もいたのだから。


子どもからしてみたら、八重もまた、

信長や秀吉、清盛と同じ、人殺しの英雄・・・。

会津の救世主と説明したはずなのに・・・。



正直に告白した。

実は、わたしにも、わからないのだ。



戦争はしちゃいけない。

人は殺しちゃいけない。

そんなことは、当たり前だ!


当たり前だけど、どうして、当たり前か、わからない。


だけど、わたしは、心の底から、当たり前だと思っていて、

だから、当たり前にやらないし加わりたくないし、

誰よりも平和と愛を願っている。

でも、それは、受けてきた教育による洗脳だという人もいる。


今も、憲法改正、アベノミクス、歴史認識、

各々考えがあって、各々論争している。


けれども、わたしは、わからないのだ。

何が正しくて、何が間違っているのか。


人間はいつだって不完全。


不完全が作り出した不完全なきまりごと。


ある時には、お国のために戦うことが正しいと言われ

ある時には、自分を大切にせよと言われ、

またある時には、捨て身の勇気ある行動を称えられ

またある時は、身を守る重要性を教えられる。


きっと絶対と言えることなんてないんだ。



なぜ、戦争なんてするんだろう。

なぜ、憲法改正なんて言うんだろう。

なぜ、女性を蔑ろにするんだろう。

考えれば考えるほど、

世の中の矛盾や権力者の狡さが炙り出される。



難しいことを言い始めてきた、小学六年生。


わからないまま40になった母。


わからないまま生きている昨今。





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