このことを、記事にしていいか、どうか迷ったけれど
でも、本音炸裂ブログにするって最初に宣言してたので、
記事にします。
『やってもできない子はできない』
大変遅くなりましたが、このことについての返答です。
それは、現実に考えてみると事実かもしれません。
けれど、親というのは、
(親というより、私の性格からきてるものかもしれませんが)
何事も、やってみなければ、わからない。
そういう気持ちがあります。
(わたしは、貪欲で図々しい親ばかなのです。笑)
わからないから人生は面白いのだと思いますし、
障害を持っているから、何もさせない、
そういう特徴があるから、最初から諦める、
それだと、あまりに人生もったいないではありませんか。
どんな子にも、その子なりの成長、その子なりの伸び、
その子がその子であるからこその育てる喜びがあるのですから。
だから、石原都知事の「人格あるのかね」発言
当時私は相当の憤りを感じました。(スルーしたけどね)
こと、子育てにおいて、
最初から結果ありきで望んでは
子どもに失礼だと思うのです。
これは、私の揺るぎないポリシーです。
どんな可能性が秘められているか
それは、親にも本人にもわからない。
一生わからないままかもしれないし、
一生見つからないままかもしれない。
けれど、一寸の光を追いかけることは、
けして恥じる生き方とは思いません。
生きていられることに感謝して、できる限り努めてみる。
その中の殆どは、ままならないことだらけ、
思い通りにいかないことだらけ、
イライラもあるし、涙もあるし、嘆きも愚痴もあります。
けれども、それでも、やり続けてダメだったら、
潔く
「精一杯やった。でもダメだった。それもまた受け入れる」
そう思えると思うのです。
頑張った後だったら、たとえダメだったとしても、
気持ちはわりと清清しいもの。
(私の場合)
でも、最初から諦めていたら
「もしかしたら、できたかもしれない」
そんな後悔があって、終えた後の清清しさがない。
あの時、あの人が「無理」と言ったから。
あの時、あの人が「学習障害」と言ったから。
そんな風に、やらなかったことを
誰かのせいにしてしまうと思うんですね。
(私の場合)
ならば、やるだけやって、
それでもできなかったら、
そう、自分の責任。
やってもできなかった。
やらないからできなかった。
同じ「できない」と言うカテゴリでも、
その意味合いは、全く違うと私は思うのです。
それは、私の信念と言うか、些細なポリシーと言うか。
いつも思うのです。
『一生懸命やって出来ることの次にいいことは一生懸命やって出来ないこと』
一生懸命やらなくても出来ることは、三番目です。
二番目は一生懸命やって出来ないこと。
私はそう思うんです。
これは、負け惜しみとか、
劣等生の言い訳とかではなく、
本当にそうだったから。
実際、私にも一生懸命やったけど、できなかった経験あります。
恋愛とかそうじゃない?努力しても手に入らないものは、いっぱいあるよ。
けれども、一生懸命頑張った後の『できなかった』は、
残念に思う気持ちや負けたときの悔しさを受け入れた後、
より強くなってる自分がその先に待っていたりするのよ。
それが、その後の心の土台や支えになっていることも。
だから、私は何事も、
反省すれども、悔いは残さず・・・
子育てもまた、そんな風に取り組んでいます。
10年後の自分を考えて、その時、
「ああ、よくやった・・・・・」と思えるか、
「後悔・・・・・」と思うか、
それを決めるのは、今の日々の暮らしの積み重ねだと思うのです。
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