『パパと呼ばないで』第28話「園子の縁談」の、おわり近くのところの、浦辺粂子のおばあちゃんとあんみつを食べるところは、泣かされる。


最近、ネットで、検索したら、ウィキペディアに、名前がでできた。

以前は、なかったような気がするけど。


阪神の試合じゃなく、ソフトバンクの試合、BSでみてたら、連続押し出しで、大笑い。


ところが、メッセも、押し出ししたらしく、笑とう場合じゃ、なかったらしい。


勝負弱いよぉ。

むかし、HAT神戸にある、何とかという電気屋さん、いや、家電量販店さんか、そこは、DVDや雑誌なんかもあるんだが、「雑居時代」のDVD-BOXを予約しようとしたら、うちでは、取り扱っていません、といわれて、唖然したぜ。だって、さ。発売元は、きいたことないとこじゃなくて、確か、大手だぜ。

おっと、いま、みあげたら、そのDVD-BOXがあった、あった。Ⅱのほうだ。発売元は、パイオニアLDCよ。いまは、名前変わってしまってるな。2003年3月21日が発売日。

あたしゃ、それから、そこでは、DVDは、買わねえよ。そこは、元、そう、元よ、元パイオニアLDCとは、いまは、なんというか、わすれちまったが、そのむかしは、パイオニアLDCいってた会社とは、いまも、取引してねえんじゃねえか。ははは。何か、あったのかねえ。

それからだな。何よりもダメな、といいはじめたのは。何よりもダメな×××、といいはじめたのは。

あれは、どのくらいまえかな。MBSのラジオで、センバツが雨で中止になって、というか、たぶん、途中で雨が降ってきて、降雨中止になったような気がするが、それで、確か、MBSのアナウンサーの水野晶子さんが、昼間にニュースのワイド番組を帯でもっていて、その番組がセンバツに変わってはじまったんです。で、そこで、映画の本を書いたひとがあらわれて、その本の紹介をやってましたわ。

なんていったかな。確か、シゲなんとか、という、どこかの大学の先生のひとだったとおもう。番組自体は、通常より、短かったはずで、つまりですね、雨で降雨中止になったときが、通常なら番組がはじまって、もう、終わり近くのころ、という時間になっていたんじゃないか、とおもうのですけど。

あれは、もし、朝から雨だったら、その、映画の本を書いたひとのはなしで、番組を構成したのだろうかねえ。それなら、なんか、気の毒な感じがするよ。せっかく、ラジオで紹介してもらえるのに。もっとも、雨が降らなかったら、そもそも、出番そのものがなくなる、雨傘番組ということになるが。

ええっと、おなまえ、おもいだした。重山隆之だったか。なんか、そんな感じ、ちがうかな。重政隆文かな。よくわからないけれど、まあ、どうでもいいや。

そうそう、ことしから、テレビと同じように、ラジオも、MBSは、センバツ、準決勝と決勝しか、やらなくなったんだね。

さて、わたしは、映画ファンになり、洋画ばかり観ることになるのですが、実は、それまで、洋画を観ることなど、まるでなかったのです。そもそも、映画館には行かないですし、テレビで放映している映画も、それまでは、「荒野の七人」と「大脱走」だけしか、観ていませんでした。

というわけで、洋画を観て、困ることが、ひとつ、ありました。といっても、字幕スーパーに難儀したということではありません。そういう場合、いまなら、吹替られているものを観ればいいわけですが、もっとも、そのころは、そのようなものはありませんでしたが。しかし、ちがいます。

何かといえば、俳優さんの名前がわからない、ということでした。それまで、洋画を観たことない人間でしたから、しっている外国の俳優さんが、ほとんど、いないのですね。別に、俳優の名前がわからなくても、映画は愉しめるのですが、やはり、ものたりないのです。


ところで、わたしが通い始めた名画座というのは、すべて、外国映画を上映している映画館でした。つまり、洋画ですね。そのころの名画座は、洋画専門、邦画、つまり、日本映画ですね、専門というように、わかれていて、わたしの、ふれることができた映画館は、洋画ばかり、上映しているところでした。

これは、誰しも、そうなのではないかと、おもいますが、ただ、そういう感じで決め付けられないかもしれませんけれど、やはり、まず、映画ファンは、まず、洋画に夢中になるようなのです。そして、やがて、日本映画の素晴らしさに目覚めるというのが、ある種の道筋のようです。わたしも、また、そうでした。


わたしを、映画好きにさせた、その名画座は、その後も、よく通う映画館になるのですが、それ以外にも、あと、ふたつの名画座をしることになります。つまり、映画ファンに、なりたてのころ、わたしは、この三つの名画座に、せっせと、通っていたことになります。

もっとも、そのころは、情報誌というもののこともしりませんでしたし、新聞の映画欄をみて研究したということもありませんでしたから、どういう風にして、あと、ふたつの名画座をみつけることとができたのかということは、記憶が、あいまいで、はっきりしないのですが、たぶん、わたしを、映画館につれていってくれたひと、つまり、あの、よく懇意にしていたひとに、教えられたのではないかと、おもいます。

そうやって、わたしは、映画ファンの端くれになっていったわけです。

わたしが、感動というか、衝撃をうけたというか、その映画館は、いわゆる、名画座といわれる、映画館でした。名画座といっても、今ではよくわからないひともいるでしょうし、やや死語に近いコトバかもしれませんが、そのころは、まだ、あちらこちらに、残っていました。

そこは、三本立ての映画館で、値段も安く、もちろん、入替制ではありません、いうまでないでしょうが。わたしは、映画館といえば、作品はひとつ、値段は安くないと、勝手におもっていたのですが、こういう風なものもあるのかと、驚かされたわけです。