下ネタ、21世紀に入ったあたりから、なんとなく言いづらい感覚を覚えていたあたし。
童貞時代および童貞卒業して張り切りボーイ時代は、ちょっと背伸びしたエロトークが可愛らしく世界に響いたものです。そう認識しております。昼夜のべつまくなしエロあるあるで盛り上がる日々。下ネタなしに、どうやって人様とコミュニケーションしてよいか想像できなかったぐらい。それが自身30代に突入した21世紀初頭から、ライブMCでも呑み屋においても、なんとはなしに自ら発する下ネタに抵抗が。いい年したら、ナマナマしく響く気がして。脂ギッシュ中年エロ的な。カラリと笑えないっす的な。
自分のなかにおそらく死ぬまで居続けるであろう中2の魂。それがある限り、いくつであろうと童貞気分で下のテーマを語れるのに、言葉にしたとたん発生するオヤジ臭、もしくはそう感じてしまう自意識ときたらどうにもこうにもいかんともしがたく。トークの合間にわき上がる下の言霊を飲み込んで暮らすこと、およそ15年。
それが最近、あくまで自分の中でですが、解禁方面に向かっている気がするのです。下ネタ解禁。品性下劣、鶴光イズム復古の大号令が聞こえるのです。
エロがリアルに響きすぎる人生のとあるタームを経て、幸せなバカに戻ってきた。そんな感覚。老人の赤ちゃん返りなんて話を聞きますが、返る途中の中2ぐらいなのでしょうか、俺の現在地。
そう、エロは、所詮エロなんつーものは、滑稽なもの。いい大人が裸になって興奮して、アニマルになって、挙げ句、愛し合ったりなんかして。
素敵じゃないですか。哀愁でいとじゃないですか。罪なやつですよ、バカですよ。最高ですよ。
そんな風に両手を広げて言える気分が蘇りつつある、我が内なる宇宙。
なのに。なのに世はセクハラ過敏時代。相手を穢す趣旨のエロ発言でなく、自分のバカさを発表して笑ってもらおう趣旨のそれだとしても、聞いていて不快だと訴えられちゃったら、左遷とかされちゃうんでしょ。裁判沙汰になって、負けたりするんでしょ。勤めたことないんで、知らないですが。怖いぜ。まったくもって、暮らしにくいぜ。
バカを解放するのも一苦労。喫煙者同士寄り添って吸うようがごとく、中2魂持つものたちで寄り添って、こっそり盛り上がっておきます。男同士、深夜の呑み屋で。
だけどこれだけは、確信しているんだ。
愛とバカこそが、地球を救う。
友よ、レッツ、エロトーク。