一つ前の、ももいろクローバーZシングル曲「泣いてもいいんだよ」。


 中島みゆき大先生の作だということは聞いておりました。


 今更CD 盤を手にし、ブックレット等をめくってあらびっくり。


 まず、編曲が瀬尾一三御大であると。


 この時点で、制作サイドに座布団一枚!やはり、なんとなくみゆき大先生に発注したわけではなかったのですね。ももクロという今や我が国で最も旬な食材を料理することにあいなった超一流女シェフ。クライアントは彼女に出張を要請せず、彼女のレストランでのメニュー作成をオーダーした。すなわち、伝説のギャルソンとのタッグを望んだのである。


 王様のレストランじゃないすか。そう、山口智子と松本幸四郎なのですよ、中島みゆきと瀬尾一三というコンビは、いわば。もう、敬称略しまくり!


 さすが天下取ったアイドルのブレーンの皆さま、わかってらっしゃる。なんてね、エラそうに。ブックレット片手に鼻息荒い俺。


 そして、これにはのけぞりました。ブックレット片手に。


 16小節あるサビの折り返し、8小節目。「泣いてもいいんだよ~♪」のあと。シャウトといいますか、つなぎの役割をする歌メロの一節。耳で聴いていたときは、


「そうだ!」


 とか言ってんのかなー。ぐらいに思っていたのですが、歌詞カードにはっきり書いてある。


「そりゃ」と。


「そりゃ」て!


 日本語の文章としては脈絡ゼロ。それまで、出だしから歌詞は「泣いてもいい」という結論に向かって丁寧に、ひとつひとつ紐解くように紡がれてきたというのに。サビでやっと、「泣いても」よくなったのに。折り返しのこのワードでいきなり膝かっくんを喰らうのです。今、なんつった?「そりゃ」?「そりゃ」て!!


 2番は何事もなかったように、シリアスな物語を再開します。で、サビになるとまた「そりゃ」で折り返すのです。


 さっきのは気のせいではなかった。そう気づくのです。悪い予感もばっちり当たるよ。グレリチの名曲が耳をかすめるのです。僕の予感は、いつも正しい。


 この曲は結局、「そりゃ」という一言で幕を下ろすのです。確信犯の愉快犯であったのです。平行して進行するパラレルワールド。せっかく「泣いてもいいんだよ」と言ってくれているのに、大事なところで挟まれる「そりゃ」のせいで、結局、ちっとも泣けないじゃありませんか!いい話の横でちょいちょい挟まれるザキヤマさんの合いの手、的な。後味は全部ザキヤマさん、的な。 


 すっげーす。やっぱ、みゆき大先生、もはや宇宙人す。


 つられて思い出したのですが、竹内まりや大先生作「みんなひとり」。無常観丸出しの当テーマをOL 目線で綴る珠玉のバラード。この曲の2番Aメロに出てくる「プチうつ」なるワードもウエポン度数だいぶ高し。


 今やれっきとした精神疾患として社会問題視さえされている鬱。そんな重い物件をライトなひらがな表記にして、更には接頭語としての「プチ」を施す。


「プチうつ」。


 や、のけぞりました。鬱をポップに書いちゃおうとする、もしくは単なる自己嫌悪ぐらいの気分を「うつ」に引き寄せようとするその姿勢が、すげーす。


 万にひとつ、奇跡的に「そりゃ」や「プチうつ」が我が頭に閃いたとしても、俺にこれをみんなに提出する勇気があるだろうか。いや、ない。きっと、振り返ってしまうもの。ほんとにこんなことして良いのか、責任取れるのか、と。それを、振り返るどころか、おしりに♡でもつけそうな勢いで、こんなにも軽々と…。姉さんがた、とても敵わねえっす。ロック危うし。


 もひとつ、つられて思い出しました。


 Silvaの「ヴァージンキラー」を初めて聴いた時の衝撃を。


 彼氏の携帯電話をリダイヤルして、知らない女の声を聞いた…そんな件で桜井卒倒。


 高橋(本名)、なんてことを!と。


 ひとの携帯電話を勝手に見てはいけません。ましてや勝手にかけてはいけません。そんな、親や先生のステレオタイプな教えを盲目的に順守してのうのうと生きている甘すぎる俺。相手も大方その良識に従って生きているものと疑っていなかったおメデタすぎる俺。己の青さアホさ加減に打ちのめされた、「ヴァージン・キラー」ショック。


 あいつら、見るぞ。挙句、かけるぞ。数秒無言で、切るぞ。無言の宣戦布告と復讐劇、仕掛けるぞ。最終的に、歌にするぞ!


 これが世界だ現実だ。俺のキラキラ眩しい女性観など虚像中の虚像だ。


 それを受け入れ今日も頑張るぞー!でも、こんな曲、逆立ちしても書けないぞー!


 歌を書く、そんな一面を掘り下げても、最終的には、女の人に勝てる気がしません…。


 そりゃ!おいらプチうつっ♡


 違いますか。違いますね…出直します。