「心底落ち込んだ。知らないうちに“恋のダウンロード”を口ずさんでいた自分に気がついて。」

 十数年来の知人であるM氏の弁です。真心ブラザーズがMCを務めたあるラジオ番組が当局ゴールデン枠史上最低聴取率を記録したことが判明した瞬間、爆笑しながら喜んでいた当番組のプロデューサー。反逆の音楽業界人。酒とローリング・ストーンズを愛してやまない40代後半。ジローラモさんに一歩も引けをとらない堂々たるちょい悪おやじ。そんな彼が、家でCDの整理でもしていたのでしょうか、魂の一瞬のスキをついて唇をふるわせたメロディー、それが“恋のダウンロード”。

彼のなかのとても大切なもの、すなわちロックンロールを仲間由紀恵withダウンローズが侵食した瞬間でした。Mさんの心中たるや、いかに。お察し申し上げます。

 そんなイイ話を聞いたもので、それ以来僕の唇にも遅ればせながらダウンローズが攻めてまいりまして、もはや制御不能な昨今。微妙な今さら感ゆえに人にも言えず、まして聴かれるわけにもいかず、こらえて過ごす苦しい日々、でありました。というのも。

そんなもつれた糸を一発で解いてしまう答えが、ある日の夕刊に載っていたのです。

 筒美京平先生のインタヴュー。

 なんと、“恋のダウンロード”は先生の作品であったのだ!と。みんな、知ってた?俺、知らなかった。それこそ、何を今さらですか。ファンにあるまじき失態。そのことを恥ずべきであり、鼻歌はむしろ誇りに思うべきだったのです。俺の無意識は、今でも京平メロディーを嗅ぎ取って、俺の中に取り込まんとしていたのだと。そして先生のメロディーは今なおロックンロール・ちょい悪おやじの自我を侵食するに余りある放射能を発しているという事実。

 大学生になったばかりの頃(1987・春)、小さい頃好きだった歌謡曲の大半は筒美作品であることが判明した高田馬場のカラオケボックス。あの時と同じ衝撃が背中を貫きました。ビリッときたぜ。

 インタヴューも非常に興味深いものでした。一部、抜粋させていただくと…

 ~心地よく耳に残るメロディーはもちろん、編曲を含めたサウンド全体への評価が高い。欧米の音楽の要素を取り入れ、最終的に洗練された歌謡曲に仕上げる。その作風は洋楽通もうならせる。

 そんな音作りのきっかけはデビュー当時、力のあったレコード会社のディレクターが放った「君はメロディーが弱い」というひと言だったという。

 「言われた通り、当時の作曲家と比べて線が細かったと思う。それをどう補うかを考えながら、サウンドを構築していった」。~

 ですと。

 メロディーが強いということは、聴き手の耳が受け取る情報は主にメロディーのみに占められるということ。メロディーが支配するということはそのほかのサウンドの存在意義は薄くなるということ。1960年代後半、先生はそこを一変させてしまわれた。

 すなわち、ご自身がおっしゃるメロディーの弱さ(ちっともそんなことないと思うけど)を補うために、メロディーのウラで奏でられる別のメロディー(これをカウンターメロディーと呼ぶそうな)を楽器やコーラスでふんだんに施したり、4~8小節足らずで曲の舞台ともいえる“ムード”を表現してしまうイントロ(これがまた信じられないほど絶品!)を施したり等、バックトラックと歌を不可分なセット商品として提供することにより、圧倒的に立体的な歌謡曲を作りだしてしまわれたのであります。

 このことは、自動車のハンドルの遊びよろしく、音楽に軽やかさを与えてくれました。聴いていて、楽しくなる。師のセンスが卓越しておられたことは言わずもがなですが、昭和から平成へのレッツゴーバブルな時代、これはどっぱまりいたしました。昭和50年代、イントロ当てクイズなるものが成立するようになったのも、筒美作品の影響力あってこそであったと私は信ずるところでありますが、いかが。以降、時代ごとの流行の差はあれ、バックトラックが楽曲を輝かせるために重要な意味を持つという基本構造は、商業音楽の制作に当然のように定着することになります。

 師はさらにおっしゃいます。曰く、

 ~「今でこそ自分の音楽を追求する作曲家もいるが、我々はヒット屋さん。ヒットを出すかどうかに存在理由があった」と、きっぱり語る。~

 ですと。

 そうなのです。自分の音楽を追求する作曲家もいる、というか、自分の音楽を追求した結果をみんなが愛するかどうか、という図式のほうが今日の音楽ビジネスにおける定番スタイル。どちらかというと職業作詞家・作曲家によるプロダクツのほうが伝統的である印象があります。その結果、サウンドプロダクツ全体を楽しむというより、その歌い手の伝えんとしていることや、歌い手の存在そのものを受け取り、楽しむという気分が発生し、わが国を席巻するに至ったと。

 前世紀には考えられなかった、サンボマスターのようなバンドが当たり前のように世間に認知され、評価されているという現在の国情。そんななかで、京平先生は極めていつもどおりご自身の作曲スタイルで“恋のダウンロード”というミサイルを放たれた。ジャニーズ帝国に代表される伝統的プロダクツの作品達が、従来の顧客をより一層大切に、いわば「守り」の態勢で帝国維持・安定に向かうなか、このミサイルは明らかに「攻め」てきている。「ロックンロール!」と声高く叫ぶサンボ山口くんの真正面から「ヒット曲!」と叫び返す京平先生。知らぬ間に歌っている、否、歌わされているちょい悪ロックおやじ。なんか、凄いことが起こっている気がしてきて…。

 何をかくそう私本日、買ってまいりました。恋のダウンロード/仲間由紀恵withダウンローズ。サンボの新譜と自分たちの新譜を横目に。横浜HMVさま、面出しまことにありがとうございます。

 それはそれとしてジャケットといい、ミュージックビデオ収録のDVD付録といい、そーとーカネかかってまんな、これ。1500円でっせ、シングルで。しかしながら、このカネのかけかたといい、ダウンローズのたたずまいといい、スクラッチ&変なかけ声で始まるイントロといい、…薄い。泣けてくるほど、軽い…。

 なのに。

 薄っぺらさが耐えがたくなるほど、お金のかけ方が容赦なくなるほど、うなぎのぼりにきらめくサビのメロディーよ。俺たちを吸い寄せてやまない夜の街のように、水商売の色気が全身を蝕んでゆくのです。水もお金も音楽も、そして人だって、流れて消えてゆくもの。だからこその現実感を、ご自身が「細い」とおっしゃったメロディーは、きっとその「細さ」を大きな武器として僕達の耳にぶちこんで、流れていくのでしょう。忘れようとしたって、嘘のつけない唇はメロディーの痕跡を確かめようと口ずさんでしまうのです。

 かつて内田裕也さんはおっしゃいました。

 「俺がロックンローラーでいられたのは、ヒット曲がなかったからだ。」

 成功したロックンローラーは自分がショウビジネスの一部であることに気づいたとき、なんらかの自分を納得させるための意識改革を迫られることでしょう。でも京平さんは違います。

 頭っからお尻まで、商売繁盛が存在意義なのですから。

 商売繁盛魂が放つミサイルは、2006年春、ロック大陸に着弾いたしました。パンクロックの担当分野を真性商業音楽が侵した歴史的事件。凄い。やっぱ凄いや、京平先生。




 夕刊によれば先生、活動40周年記念の6枚組みCD全集を出されたそうな。似たような商品をかつて私買いましたが、そんなことが何だというのでしょう。もちろん今回も買いますよ。さっきは仲間由紀恵さんで頭がいっぱいになってうっかり帰ってきてしまいましたが、買いますとも。義務ですから。

 ちょうど、前の奴は家のどこ探しても見当たらなくて困っていたところ。きっと、家に呑みに来た誰かに京平トークをさんざんかまして「聴け!持ってけ!」とか言って、そのまま酔って忘れてしまったのでしょう。

 心当たりのある親愛なる友人よ、はなはだ勝手ではありますが、返してね。