今年2月頃、確かまだ明るいうちだったと記憶しております。大好きなNHKをぼさーっと観るという贅沢な時間を過ごしておったところ、なんとなーく始まったのが「歌伝説・ちあきなおみの世界」なる番組。

 「お、いつかせいこうさんがアツく語っておったちあきさんですか。」と、寝転がってビール飲んで屁を一発。極めてぃゆるぅい体勢でTVに向かっておりました。

 うすらのんきな時代は一瞬で終了。

 一曲目、定番中の定番「喝采」の時点で画面に食らいついている四つんばいの俺。小さい頃に何度となくなんとなーくふれていた筈のこの歌この歌い手さんから、目が、耳が離せない。

 現在のポピュラー音楽に比べて圧倒的に少ない歌詞の文字数、シンプルなメロディーライン。しかしながら、それゆえにひとつひとつの文字が、音符が、余すところなく重要であった当時の歌謡曲。それが何を意味するかと問うならば、一文字でも、一音でもおろそかにすれば全体が台無しになるという恐ろしさを、今の流行音楽の何倍も孕む構造であったということを意味するのよ、と。そして逆もまた真であったと。すなわち、一文字一文字を、一音一音を、余すところなく表現しきったら、その一曲は大変な力を僕達に叩きつける怪物に変身するということを、ちあきなおみさんは「喝采」という強烈なびんたで証明し、ぼさーっとぃゆるみきっていたおいらの度肝を楽勝でぶち抜いていったのです。

 それだけではありません。

 彼女の、声。ノドに関する二つの魔法。

 ひとつめは、低音の迫力。迫力というか、ほとんどドス。カレン・カーペンターもおなじ手法で我々をノックダウンするのですが、すなわちこういうことです。曲の導入部分でいきなり胆の低音ジャブ、サビで余裕の高音ロングトーン、このストレートに間髪入れずとどめの〆め低音フック。カレンの低音が、いわば包み込むような優しいパンチであるのに対して、ちあき姉さんのそれは急所に深ぁく突き刺さるドス。これで大概の男は「姉さん、俺、姉さんのためなら、死ねる。」となるわけです。一般的にメインと思われている高音部をいわばフリ、釣りでいうところのコマセ扱いをして聴衆という魚を寄せるだけ寄せておいて、最終的にドスの効いた低音という銛で突き殺す。これは、神様に選ばれた人が、自分が神様に選ばれている人間であることに気づいていなければ出来ない芸当です。

 ふたつめは、ノドに内蔵されたオーバードライブ。エレキギターでいう歪んだ音を演出するチューブアンプ。その超高級モデル。そいつへの規格以上の入力を経たルール無視の出力。バイクのエンジン音にも似た、俺たちを狂わせてやまないあの、ヤバ~いブースト音。そしてそいつが生む、いわゆる「ブルー」な世界。そう、ブルースなのであります、姉さんの声は。義太夫節もそう。義太夫の三味線は、国内唯一の歪んだ三味線。このセンスがねえ、当時歌唱力に長けた歌い手さんは数多かれど、「ブルー」のセンスをこれほどまでに兼ね備え、いかんなく発揮された歌い手さんを、僕はほかに知りません。ま、その日TVで初めて知ったのですが。

 あと、驚異的なピッチ感。おっそろしく耳がいいんだろーなー。なんて、凄いとこを箇条書きにしたら一晩楽勝で呑めちゃうのでしょうが。ま、今日のところはこんぐらいで。

 その日の放送では、「朝日のあたる家」が凄まじかったな~。ものすごくマニアックかつ複雑な楽しみ方ではありますが、梅ちゃんこと梅垣義明氏の歌う同曲と、できれば映像と共に連続で楽しむと「世の中にはいろんな人がいるんだなー」と、しみじみできると思います。両映像を是非ともお求めあれ。

 それからなんといっても「矢切の渡し」。これは、唸る。泣ける。駆け落ちしたくなる。先日、東名高速でこの曲をかけつつ(足柄SSにて謎のベスト盤を購入)運転して私、気分はすっかりトラック野郎。いやー、盛り上がった盛り上がった。




 最近、清涼飲料水のCMでちあきさんの「星影の小径」が起用されていますね。「歌伝説~」も近日中に再放送が決まっているそうな。生き馬の目を抜くマスコミの世界で、なんとしてもちあきさんの歌声を世に届けんと尽力する同好の士が確かに存在するということは、秀俊、はなはだ心強うございますぞ。俺もいつかちあきなおみコンピとか作ってみてーなー。まだ見ぬ士よ、お互い励みまっしょい。




 いつだか阿久悠先生が、TVのインタヴューで目をキラキラさせてこうおっしゃっていました。

「僕達はね、歌っていうのは、人の一生を変えてしまうような、そんな凄いものなんだって信じて、闘ってきたんだ。」

 ちあき姉さんの歌は、その言葉を高らかに証明するものでした。

 今は現場を退いていらっしゃるとのことですが姉さん、俺、姉さんの生歌を聴きたい。現役復活を心より、心よりお待ち申し上げております。