八段目「道行旅路の嫁入り」。

 仮名手本忠臣蔵で最も音楽色の濃いぃ段。4分過ぎあたりから出てくる三味線の華麗な調子に文字通り調子に乗せられ、このフレーズが出てきたら俺はいつだってノリノリに乗っちまうのさ。500人余りの観客の中で、たった一人で体を揺らせてしまうのさ。恥ずかしいけど、悪いのは俺じゃない。いい調子の太棹軍団のせいなのさ。舞台でこれまた艶っぽいダンスを披露する小浪と戸名瀬。彼女達(正確には人形)だってノリノリじゃないか。客がノリノリでなぜいけない?ステージがゴキゲンなら客席は倍返し。これは我々の業界では常識であります。

 今回の東京公演では、九段目の配役がまたたまらんものでありました。

 大メインイベント「山科閑居の段」のイントロ的(すなわち別の意味でまた重要な)役割を果たす「雪転しの段」を務めるのは豊竹咲甫大夫さん鶴澤清志朗さん両若手ホープペア。師匠譲りのでかい声と持ち前のモテそうな声、一見相反しそうな両者を見事に操る技量が咲甫さんの強み。や、立派な舞台でありました。

 で、「山科閑居の段」。

 咲甫・清志朗ペアの床が例によってくるっと半回転して登場するはやはりこのお二方。竹本住大夫さん野澤錦糸さん霊長類今世紀最強の義太夫タッグ。

三段目の一撥めと九段目の一撥めは、五線譜にあらわしてしまえば両者ともA♭の全音符。強さに関してはmpでもふっていただければ差し支えないと思われます。

 しかしながら。

 前者は聴き手にお城の威厳を喚起させる「でぃーん」。一方後者は雪深い山んなかの一軒家を喚起させる「でぃーん」。譜面上・記号上はおんなじなのに、耳にして心が受け取る情報の相違たるやこれ、一体どういうことですか。どうですか。全く伝わらないでしょう。それが、ライブってもんです。開き直ってみました。

 ウェットにウェットにこれでもかこれどもかと情に殴り込んでくる「でかしゃった!でかしゃった!×n」のソウル・シャウトに沸き起こる拍手の嵐も健在。今回もただただ、ははぁあッとばかりにひれ伏すのみでありました。

 後日、咲甫さんにお会いした折、

 「自分が演じている床の真後ろで、板一枚越しで住大夫さんに聴かれているっつーのは、これは一体どういう心境なんですか?」

 俺にゃ絶対無理という単純な感想から投げかけたアホ質問に、

 「じわぁ~っと、嫌ぁ~な汗かきながら僕も清志朗も毎日やってますよぉ。」

 言いながらかかかと笑うあたりに咲甫さん、自分との胆の差を感じます。毎日だって。ありえない。

 「山科~」の奥を語るのはその咲甫さんのお師匠さん、豊竹咲大夫さん。さすがに80を超えた住さんには不可能な、ハーレーのような豪快サウンドを会場中に轟かせる。圧倒的フィジカル。加古川本蔵という凄い男の断末魔を演じるに最もふさわしい大夫さんであると全員が納得してしまいます。

 「桜井さん、清志朗の三味線、どんどん師匠(鶴澤“ゴッド”清治さん)に似てきていると思いません?」

 咲甫さん、それはあなたもそうですよ。

 持ち前のええ声に加え咲大夫さんのスケール感が咲甫さんの中でどんどん育っていることを感じている観客は僕だけじゃないと思います。今回は、師匠とその背中を追う若手との不思議な、不思議なといいますか、その辺の世界ではなかなかお目にかかれない繋がりが、今回とても興味深く感じられました。

 決して目に見えない、けれども血の繋がりに勝るとも劣らず強く真摯な、芸の繋がり。こうしてこの方達は己のブルースを研ぎ澄ましてきたのね。それも400年。のけぞります。




 そんなブルースの螺旋階段を上りきった男が二人、日本のソウル音楽の幹をまたひと回り太くしてくれ、星になりました。

野澤喜左衛門さん。太棹と添い遂げた人生、かっこよすぎます。腹にどんと来る太棹サウンドの数々、ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 吉田玉男さん。まだまだ道楽初心者のおいらではありますが、初めて観たあなたが遣う徳兵衛の噴火するリビドー、それはもう衝撃でありました。玉男さんのお芝居をこの眼で何度となく観ることができたのは、大変幸運でありました。ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 他の新聞はチェックしていないのですが、玉男さんの訃報を一面で扱った読売新聞さん。

 あんた、ロックわかってるね。