納豆騒動やら宮崎県政やらペコちゃん失墜やら日本の政治経済はなんだか大変なことになっておりますがそれはそれとしてNECグリーンロケッツのみなさま、シーズン終了大変お疲れ様でした。ケガ人続出の苦しいシーズンではありました。しかしながら最終節のTOYOTA戦においては本来のディフェンス力で相手を最後まで苦しめ、敗れはしたものの素晴らしい試合を見させていただきました。ぐっときたぜ。サンキュー、あんたたち、かっこよかったよ。

 そしてまたそれもそれとしてそれと全く関係ございませんが私、すこぶる物持ちのよい男であります。すいません、ここからが、今日の無駄話。

 十数年前に当時新製品として購入し、今もがんっがんに使っているギターアンプは知らない間に幻の初期型モデル扱いされ、現場にてしばしばそっち方面のおたくの方に「これ、初期型じゃないっすか。初めて見ましたよ。」とのけぞられます。アコースティックギターに使用している花柄刺繍のストラップは確か中学のときに買ったもの(もしくは借りパク)と記憶しています。小学6年のときに母親に買ってもらったハング・テンのTシャツをいまだに着ています。例を挙げればまだまだいとまなく、そして、以上のものを買い換える気がまったくございません。

 そんな性分なもので、パンツなんて気がつくと3~4年モノになっていることが。いくら世界のグンゼとはいえ数百回洗濯機にもまれりゃあゴムのあたりがよれよれによれるというもの。ある日突然「うわ、よれよれ!」と気づいてあわてて捨てていた暮らしを送っていたのですが、さすがにどうよ、と。人としてとは言わぬまでも、いやしくもロック音楽などを人前で披露して生きている大の男が、それは違うんじゃないの、と。物持ちのよさと貧乏性を無意識にとはいえすりかえて、よれよれパンツでのうのうと愛を歌っていた自分が急に腹立たしく思え、数年前にある誓いを立てました。すなわち、

 グンゼは年末にパンツ×10、T字肌着×7、ランニング×3、ステテコ長・短×各3でまとめて購入。次の年いっぱいをそれで過ごし、1年後の年末にて全品お役御免とする。現役引退後のグンゼは大掃除にて自転車、ベランダ周り、換気扇等に使用し、生を全うさせる。来る新しい年は、また新たなグンゼセットで世界の荒波に立ち向かうべし、と。

 その年から我がたんすの下着エリアは常に一定の量および質の下着がしかるべきゾーンに配置され、新人ベテラン無造作に混在したカオスな過去とは比べ物にならない統制のとれた近代文明社会を築きあげることに成功しました。毎年毎年フレッシュなパンツの履き心地から新年を感じるというのも、悪くありませんでした。

 だけど。

 だけど父さん、1年は、あっという間です。そしてグンゼは日々、進化を遂げています。つまり父さん、年末になってもグンゼはちっともよれよれにならないのです。特に新製品の“SEEK”。革命的な生地の薄さおよび軽さ。それに反比例する保温性。更に自然かつ驚異的な吸湿性、それに伴う今までを上回る肌触り。どれをとっても1年でさよならするには惜しい選手ばかり。自転車や換気扇の油の前に吸いとるべき汗がまだまだ彼らにはある気がして…。

 父さん。今年、僕は誓いを破りました。

 今この時点をもってたんすの中およびズボンの下は、全員2年目の選手です。ですがどうか、どうか貧乏性と責めないでください。趣旨を貫徹しない男となじらないでください。

 世界共通言語となりつつある「もったいない」の精神とも、貧乏性とも意を画するこの気持ち。

 グンゼの可能性を見届けたい、というのがいちばん正確な表現でしょうか。

 腰のあたりに施された“SEEK”のタグにはかくなるメッセージが記されております。曰く、

「We offer you the best combination of elegance,comfort and quality.」

 エレガンス→品格、コンフォートすなわち安心→機能性、クオリティー→品質。本気で追求しようとしたら矛盾しまくってパニック必至のこの三概念。あえて、二律相反どころでなく三律相反をテーマとし、コンビネーション実現に挑戦し、クリヤーし、高々とタグにメッセージを記すこのパンツ。俺は感動します。パンツ履いて身震いします。まだやれると訴える彼らをどうしてたった1年で自由契約になどできましょう。

 そういうわけで、同じグンゼで今年もまた秩父宮ラグビー場に足を運ぶ所存でございます。

 がんばれNEC、がんばれグンゼ。