昔からそうではあったのです。

何かに夢中になっていると、それ以外の物件が脳みそから置いてきぼりを食らいがちになるという傾向は。俯瞰のカメラはもちろん、寄りのハンディ以外はスイッチャーに無視を食らっているイメージ。

 そりゃザッツB型傾向だよと指摘する友人もいますが、そうだとしても俺の場合は、ひどい。どいひー。

 作曲活動をしているといろんな約束を忘れる。十数年前のとある制作期間中、ちょっと気分転換に映画を観に行こう、と思ったら本来その時間はロッキング・オン・ジャパンのインタビューに充てられていて、帰ったら留守電やらFaxやらに膨大な伝言が残されていたことがありました。

 今思い出してもぞっとします。

 レコーディングの前の晩まで明日の段取りはどうしようと必死に考え、絶対に忘れてはいけないリズムマシーンを絶対に忘れないように玄関のど真ん中に置いて眠り、翌朝違うことでどうしようどうしようと考えていたら当のリズムマシーンをまたいで手ぶらでスタジオに到着していたこともありました。

 よりによってそんな日に限ってスタジオは都内から遠く離れた埼玉県は川越。そのリズムマシーンがないと絶対にレコーディングは始められなかったもので、皆を待たせて往復4時間、取りに帰ったことがあります。

 ええ、今思い出してもぞっとします。

 そんな若かりし日のそんな悪しき性質にかぎってどういった神の導きか、年齢とともに加速されていくの。

 スイッチャーが無視どころか、仕事を放棄して酒飲んでるイメージ。




 そういったわけで。

 飲食店のカウンターの下に設置してある荷物置き用途のちょっとした棚。

 あたしゃアレはもう、一生使わないことに決めました。




 美味しかったりそうでもなかったり、美味しいのに店の空気が悪くて気分は台無しになったりまたはその逆だったり、なんにせよカウンターてえしろものは主に一人または少人数で座ることが多いため、ついつい食事そのものに集中しすぎてしまいがちではあります。よね。喋りすぎる隣人には無視を決めこんでまでも。ね。

 その結果、脳みその中身は飯・酒・空気・値段の4つにきれーいに分配されてしまいがちではあります。でしょ。その4次元が生み出す宇宙空間にのみ全神経を投じがち、でしょ?

 加えてカウンターの下に入れておくものって、さっき買ったばかりのシャンプーとかお土産にもらいたてのどら焼きだとか、まだ身についていないもんでまっ先に頭がおろそかにしそうなものでありがち、でしょ?

 当然忘れますよ。気づいたしかる後にわざわざ引き返しますよ。貴重な時間をシャンプーやどら焼きのためだけに投入しますよ。

 それなら仕方ない。それならまだ言い訳もできます。しかしながら。

 食券で入るラーメン屋等、先にお会計を済ませるシステムの店の場合、これが恐ろしい。

 どういうことかと。

 頭がどれほどきれいに先に挙げた4分割状態であろうと、帰るときにお金を払う通常のシステムのお店の場合、お金を払うという現実に夢の4次元空間はいとも簡単に引き裂かれるわけで。財布やそれの入ったカバンはカウンターの下だろうがどこだろうが忘れて帰るはずもございません。

 ところが先払い食券システム。

 がーっと食う。水を飲み干す。ため息ひとつ、おもむろに楊枝を一本くわえて厨房に向かって元気よく、

「ごっそさんでした!」

 っつって颯爽と暖簾を後にしたいでしょ。片手は楊枝に、片手はポッケにつっこんで、まだ照りつける夏の午後の陽ざしをまぶしそうに見上げて帰りたいっしょ。

 いやーうまかったなー、一時期美味しくなくなってどうしようかと思ったけど完全復活だね、や、また来ようじゃないの。でも、ま、2ヶ月は空けようかな。とかいって来週あたりまた来てたりして。

 帰りの道すがらでも心はいまだ、宇宙空間をさ迷っているわけで。

 大胆にも現金等大事なもののぎっしり詰まった荷物を忘れて、爪楊枝をしーはしーはしながら腕を組んで手ぶらで歩いているわけで。

 で、電車に乗ろうとして、そのために必要なものに頭が向き始めて、やっとこさ顔が青ざめる、と。

 これは、どいひー。




 これからは、全部膝の上。窮屈だろうと汁が散ろうと膝の上。




 俺は悟りました。

 人はある日を境に突然おじいちゃんになるのではないのだと。

 その人の持つたくさんの性質のひとつずつが積み上げられるようにおじいちゃんになっていって、最後のひとつの性質がおじいちゃんになったときに、初めてパーフェクト・おじいちゃんが完成するのであると。

 そういう意味では、俺はもう、ジュニア・おじいちゃんだ。ひとつだってあれば誰だってジュニアだ。ジミー・ペイジのアルペジオが聴こえるぜ。キーはAm。

 Stairway to おじいちゃん。じじいの階段昇る、俺はまだシンデレラか。

 泣きながらギターソロに突入する自分が見える。