弾き語りの極意は落語にあり。




 バンドの仲間と火の玉になってお客さんに音楽をぶっつける。そんなスタイルのみで中学からライブ活動を続けてきた身としましては、先日の人生初・弾き語りライブすなわちそれはひとりぼっち、これは強烈な体験でした。なんせ自家発電。ひとりで火の玉になれってんですから。

 ひとり板に付き、ひとりお客さんを見渡し場の空気を吸い込み、指先からギター、唇から歌、これのみを発してひとり、数十分間の宇宙旅行へみなさまをお連れする。

 これって…。ひとり高座に上がり、ひとりお客さんを見渡し場の空気を吸い込み、適切な枕、引き続き流れるように毎度ばかばかしい噺へ…。そんな噺家さんこそたったひとり弾き語り、どころか語りのみで世界を作る稼業ではありませんか。

 そういうわけで、弾き語りの極意は落語にありと睨んだあたくし。

 さっそく足を運びました。どこへって、そりゃ浅草でしょ。浅草は六区、浅草演芸ホールに決まってるでしょ。

 初めてくぐる演芸場の門。昭和の昔から芸人さんの生き血を吸いまくってきた歴史を感じるさすがのムード。まだ早い時間だったもので席にも若干の余裕が。落語家さんのみならず、漫才漫談マジックに曲芸、講談までが10ないし15分間隔で矢継ぎ早に登場するシステム。さすがに楽しい。もちろん、面白い。幕間の座布団換える浴衣の兄ちゃんですらイイ味出てます。

 確かに、楽しい。でも、欲しいのはもっとこう…。なんでしょう、鮎の塩焼きを求めて清流に来たら鮎は品切れだったけどお蕎麦がすんごい美味しかったとか、そんな気分。イイんだけど、俺何しにここに来たんだっけ。

 もっとこう、息を呑むような、楽しいんだけど背中に電気が走って冷たい汗がつたうような、いつもやってるくせに今日で最後のつもりで演じていると思わせるような…。そんな矢吹・力石戦をひとりでやっているようなものが感じたかったの。切に。でも、ここは浅草演芸ホール。そりゃそんなもん見せる場所じゃないですよね。お蕎麦、美味しゅうございました。

 文楽三味線・鶴澤清治さんひとり舞台、とか。お能は葛野流大鼓方・亀井広忠さんがひとりで叩きまくる、とか。そんなん絶対ありえないんですけど、そういった「毎日やっているくせに非日常」感を浴びたいんだよなあ。

 とんでもない名人の高座とか、チケット取れないんだろうなあ。落語、ブームらしいですもんね。出演されてた芸人さんの何人かがおっしゃってました。通うにも遠いもんなあ、浅草。




 地元横浜は桜木町に「にぎわい座」なる演芸場があります。結構なキャスティングもするらしいです。館長はなんとあの玉置宏さん。奥さん、言っときますが玉木宏さんじゃあないですよ、“たまおき”ですよ。念のため。

 当分はにぎわいチェックで寄席通い。そのうち見つけたる。マイ弾き語り師匠。なぜか落語家。




 ああ、増えてゆく一方の道楽。典型的な財産食いつぶす若旦那パターン。芝居がはねたら野毛で食道楽、呑んで歌って語って呑んで、ぬしと朝寝がしてみたい。都々逸からめるロックミュージシャン。

 ああ。