おならを放つとき、つい集中してしまいます。

 いつごろからか、集中するようになってしまったのです。

 なるべく大きく、良い音を出すように。




 ミュージシャン稼業の性でしょうか。どうせ出すのなら良い音で、と思って実行し、クセにまでなってしまったのはもう15年ほど前のことだと思います。

 ちょうどそのころ、子供時分のそれとサウンドが変わってきたことに気が付きました。音程が低くなってきた。つまり、ボディが大きくなったことに伴いサックスでいうところのリードも面積が広くなり、振動も大きく周波数の低いサウンドへ移行しつつある我がおしり、そんなイメージを抱いたのです。

 それからなんとなーく、テナーサックスの低い音を出す意識でことに及ぶクセがついてしまいました。一曲終わってエンディングにドラムががーっとかきまわし、バンドメンバー全員で一斉に「じゃん!」と終わる時にテナーが出すリタルダント気味四分音符のルート音。当然、フォルティッシシモ。

 いつだって時と場所を選ばずにやってくる「その時」。

「あ、きた。」と思ったらすかさずメンバー全員でがーっとやっている場面を想像し、ドラムに注目し、「じゃん!」のタイミングで、リリース。つまりいつものライブ本番の「じゃん!」のときと「その時」と、僕は同じ表情をしているのだと思われます。つまり、相当に集中している顔ではないかと。全身全霊で「決めるぜ!!」と思っているわけですから。テナー奏者として。

 もちろん、電車の中やエレベーターの中でそのモードになるようなこたあありませんよ。あたしにだってマナーってもんを大切にする心はありますから。そこへいくともっぱら一人で運転する車の中なんてえのは最高のシチュエイションですよね。グッドサウンドを追及するには。曲を〆るにふさわしいサウンドを得た日には思わずライブよろしく、

「サンキュー!」

と、声が出てしまいます。俺は誰に感謝しているのでしょうか。

 家で創作活動をしているときなどは身も心もプライベート感覚真っ最中なもんで、「その時」が来たら思わず臨戦態勢を敷き、全力で放ちがちなあたし。当然ながら妻と娘にはすこぶる評判が悪うございます。

「けっこう芯があって太いいい音だったと思うんだけどなあ…。」

そんな思いが彼女たちに通じるはずもなく、ただただ失われるだけの父権。家では控えようと心掛けてはいるのですが、ついつい勝ってしまうグッドサウンドを追及するあくなきミュージシャン魂。愛する妻よ娘よ、義太夫節を知ってからの俺のサウンドはますます腹が据わって男っぷりを上げているんだぜ。Baby、わかってくれとは言わないが。

 理想はバリトンサックス。ウーレイのコンプレッサーがばっちりかかるような爆発する低音。タワー・オブ・パワーのバリサクみたいな音が、どうにか70歳ぐらいになったら出せるようにならないものでしょうか。

 がんばっていきたいと思います。サンキュー!!