不正審査が行われていたと書かれた10年前は、西川寧、青山杉雨、篆刻の小林斗盦も死去して、東京には日本芸術院会員は一人もいませんでした。それを心配して、杉岡華邨先生が古谷蒼韻に「君は栗原蘆水がいることは、十分承知しているが、日本芸術院会員に栗原を推薦したいことは十分わかるが、今一度、東京をまとめてくれる日本芸術院会員を東京から出したので、君は(誰も推薦しないで)体を空けておいてくれないか。今、私が東京の書家に電話をして立候補してくれる人をさがしていますから」という電話を古谷はもらっていたのです。それからしばらくして、杉岡から古谷さんは電話を戴きました。「新井光風さんが僕は日本芸術院会員には興味はございませんが、そこまでおっしゃるなら、一度は立候補いたします」と新井先生は言ってくれたのです。

 そのことを栗原蘆水は、このような会話がなされていたことを知らなかったのです。

 何で、古谷蒼韻は私を推薦しないで、新井さんを推薦したんだと古谷氏に怒り心頭に思っていたのです。ですからせめても、古谷はですから、書に於ける審査主任に栗原蘆水になってもらったのです。栗原は朝日20人展で「恩を知らぬ者は人間じゃあない」と言った内容な書を出品していたのです。審査主任とは、仮に天皇陛下が日展に行啓された際には、審査主任の案内で書を見ていただくことになっているのです。

 そんな栗原蘆水が「審査はこれよろしいですか?」と古谷蒼韻に聞くはずがないのです。朝日新聞の記者は、前・日展の理事長から、はした金をもらって、古谷蒼韻を失脚させ、今村桂山の日本芸術院賞の立候補を断念させたかったから、あんなデタラメの記事を書いたのであろう。

 それを知ったわたくしは、車で前・日展理事長宅に行き「いくら、石飛からもらったんだ。(中略)日展理事長を今すぐ辞めろ。鈴木会長もカンカンに起こっているぞ!」と言うと、「分かった理事長を辞める」と約束を僕にしたのです。

 古谷は今村に「僕には真神君がいるから、院賞の推薦は一回だけですよ」ですから、あんな事件をでっち上げることはしなくても良かったのです。(つづく)

 当然、石飛の推薦者にも「日本芸術院賞が絡んだ収賄事件ですから、推薦はやめた方が良い」と言ったのです。

後細かなことは、書くのを辞めます。(文・どんぐり&櫻井)