nedan 著者の家計簿を元にしたエッセイ。
毎日使うお金。
何を買うにも食べるにも、いくらか支払うのは当然で。
その価格に見合った金額を使えないこともあるし、大満足してしまうこともある。
そんな事も含めて、著者の金銭感覚やお金にまつわる出来事や思いを綴っている。


目次を見ればわかるが、全ての題名に金額が添えられている。
昼めし 977円
健康診断 0円
空白 330円
キャンセル料 30000円
記憶 9800円×2
などである。
まるでMasterCardのCMのようだ。
そこでまず興味が惹かれて購入に至った。


『一日(1995年の、たとえば11月9日) 5964円』はとても心に響いた。
10年間、家計簿をつけている著者。
どうして家計簿をつけはじめたかというと、経済が不安定だったからだ。
困窮していた訳ではないが、将来的に困窮しそうだと思い、自分の家計の弱点を知ろうと始めたそうだ。
しかし、弱点はわかったものの何も変わらなかったのだという。
家計簿をつけ続ける上で得てしまうテクニックや、弱点と向き合った時のたまらない気持ちについても書かれている。
現在は、単純に癖としてつけ続けているらしい。
そんなことはいいのだが、このエッセイの最後にとても素敵な事が書かれていたのだ。
それは、私も最近感じていることの1つ、20代のお金の使い方であった。
20代で手にしているお金というのは、例外もあるが殆どが自分で稼いだお金で、そのお金でどんな目にあおうが自分の責任なのだ。
そして、そのお金をどう使ったかが、その後の基礎のようになると思うと書かれていた。
ほんの基礎の一部でしかないが、確実に基礎の一部なのだと。
著者は30代になり、楽になったと思うらしい。
40代が近付くにつれ、どんどん楽になっているそうだ。
その理由は「どうでもいいこと」が増えるからで、その「どうでもいいこと」こそ、20代の自分が作り出した気分だと著者は記している。
30代で使ったお金も、40代の自分に繋がり、何かしら意味を持ち、自分の中の一部として存在していくのだということを書かれていた。

そうなのだ、人生はすべてその先の自分の基礎になっている。
だから毎日つまらなく生きていたら、その先もきっとつまらないのだ。
私は常日頃そのようなことを考えていたけれど、こんなに簡潔にまとめてくれている文章を見たことがなかった。
最後にあるこのエッセイを読んで、この本を読んでよかったと思えた。

お金について書いてある本は沢山あるが、身近で軽く読めて楽しめて、わかるわかると素直に思えるエッセイは少ないと思う。
本書はそれに該当し、手軽である。
おすすめの1冊だ。


<晶文社 2005年>


角田 光代
しあわせのねだん