依正不二
依報と正報が、一見、二つの別のものであるけれども、実は分かちがたく関連していること。妙楽大師湛然は『法華玄義釈籤』で、天台大師智顗が『法華玄義』に説いた十妙を解釈する際に十不二門を立てたが、依正不二はその第6にあたる。正報とは生を営む主体である衆生をいい、依報とは衆生が生を営むための依り所となる環境・国土をいう。依報・正報の「報」とは、「報い」の意。善悪さまざまな行為(業)という因によって、苦楽を生み出す影響力が生命に果として刻まれ、それがやがてきっかけを得て現実に報いとなって現れる。過去の行為の果報を現在に受けている主体であるので、衆生を正報という。それぞれの主体が生を営む環境・国土は、それぞれの衆生がその報いを受けるためのよりどころであるので、環境・国土を依報という。環境・国土によって衆生の生命が形成され、また衆生の働きによって環境・国土の様相も変化し、この両者の関係は不可分である。それゆえ日蓮仏法では、仏法を信じ実践する人自身が主体者となって、智慧と慈悲の行動で依正の変化の連続を正しく方向づけ、皆が幸福で平和な社会を築くことを教えている。