幼少期の頃から

教育熱心な母に


上級者になることが第一

と教育されてきた



テストの成績で

自己ベストである

500人台のうちの

10位になった時でさえ


「よく頑張ったね」

と褒められることはなく


第一声は

「あと一歩で1桁だったのに」

だった



それなりに努力を重ね

市内の進学校に進むものの


そこから成績が伸び悩み

母が望む国立大学には

進学できなかった



やむなく地元の

私立大学に進学したが


国立大学に入った同級生と

比較されるばかりの

日々だった



安定志向が強く

就職するなら

公務員か教師を望む母


その頃は

バブルが崩壊し

氷河期だったので


その考えは

否定できなかったが


自分の人生のレールを

勝手に引かれるのは

苦痛だった



5歳から10年続けたピアノも

上達してコンクールに出場しても


落選することが度々で

その都度母は

不機嫌になった



合格するには

人より何倍もの努力が要る


そのことは十分

理解していたし


私は私なりに

精一杯努力したつもりだ



しかし

賞を獲らなければ

意味がない


トロフィーや賞状が

あってこそ


母は喜びを

感じられるのだ



そう思った時から

次第に自己否定を

するようになる



結果を出せない人間は

価値のない人間


私は何のために

生きているのだろうと…




母が理想とする職種には

就かなかったが


ある時から私の思いは

ガラリと変わる



そうだ

あと残すのは

結婚相手しかない



とにかく

母が納得できる相手を

見つけようではないか



母子共に

納得できる相手は


ズバリ

“ハイスペックな男性”である


私が

ハイスペックな男性に

惹かれた理由は

ここにある



母のためだけではない


自分がいかに

高貴な気分で

人生を送れるか


無能な私には

相手に望む以外

なかった



そして

結婚した相手は


自分が進学できなかった

国立大学よりもずっと

レベルの高い

旧帝国大学卒(現役合格)


セレブではなくても

“ハイスペックな男性の特徴”

のなかに含まれている職種である



そして

ここがポイント


おぼっちゃま育ちではない

普通の金銭感覚の

持ち主であること



そのことで

相手の家柄に対し

悲観することなく


同じ視点で

暮らすことができる




 『3高』

(・高収入・高学歴・高身長)

と言われる言葉が

昔流行したのは

記憶に新しい



身長は175cm弱で

高収入ではなくても


職種と学歴を

親に話した時


両親共々

何ひとつ不満を

言わなかったのを

覚えている



そこに

褒め言葉は要らない



父と母の

満足気な表情ひとつで

答えは見えた



これで私は

堂々と生きていける


そう思った



たとえ私自身が

褒められなくても


上級者と思える男性に

私が選ばれたことには


褒めてくれるに違いないと

思えたからだ



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そんな夫でも


これから先も

数えきれないほど


不満を溢すことが

あるだろう



その時には

この黄色いドアを開けて

リセットしようと思う