前にも少し書いたことがありますが、
たまに読み返す本の一つに新津武昭(鮨の「きよ田」)の「ひかない魚」があります。
「ひかない魚、」とは?
魚が裾ひく?
『「ひかない魚」というのは、ネタがシャリの上で裳裾をひいてかしこまり、客が拝みながら食べる鮨ではない、という程度の意味か?』
という解釈をされた方がいましたが😕わかりません。
銀座には「きよ田」という鮨屋がありました。
ありました、というのには訳があって、
今営業しているお店は名前こそ一緒ですが、中身は全くの別ものだからです。
この「きよ田」の常連客には今聞いたら目が😍になるような面々が。
「きよ田」の名前は義父からよく聞いていました。
さる友人からの紹介あっての御縁だったようです。
常連客の一番といえば、やはり白洲次郎正子御夫妻でしょう。
「自宅本より画像拝借です」⬆️
鶴川のご自宅に、たけのこ狩りに誘われたおりの事、
「じいさんは日曜大工で何でも作っていました。立ったまま使える長い靴べらとか。」(本文より)
その辺のことが、
「ひかない魚」には詳しく書かれていますから、
白州御夫妻がお好きな方でしたらお勧めです。
骨董の世界では一目置かれた青山二郎さん。
この方が骨董に関しては小林秀雄さんや白州正子さんの御師匠さん。
その審美眼たるや銀座の古美術商とは次元が違った、らしいです。
小林秀雄さんには多くのページが割かれています。
梅原龍三郎さんには、
「僕らが見た場合赤ってのは一色にしか見えないのに、
梅原さんには五色にも六色にも、あんたの目玉はどうなってるの?」本音のトーク😆
文士たちにとっての少し前の古き良き時代。
文士が本物の文士でいられた時代とでもいうのかな?
それから一番好きだったであろう辻邦夫さんのお話も面白いです。
前の天皇皇后両陛下とのエピソード。
辻邦夫さんは先の天皇御夫妻にたいそう気に入られていたらしく
その頃、東宮御所へ講義などされに行かれてたようです。
その時、きまってきよ田の新津さんが呼ばれてお鮨を握られていたようです。
その場の会話で、「新津君お座りになって一緒にお酒でも頂きましょう♪」
なんて美智子妃殿下に言われたりするわけです。
辻邦夫さんに出会えたことは望外の幸せであったと新津さんは書かれています。
本当にこの本は他では知り得ない様な文士達の素顔の四方山話が満載です。
そしてここが大事なんですが、😆前にもブログに書きましたが、
義父の事も「小林秀雄の熱烈なファン」という事でチラッと登場します❣️
「きよ田」には
私も一度だけ行けるはずでしたが用事で叶わず、口にできたのはお土産の一回だけ。
それだけが心残りといえば心残りです。
最後に本音を少し書きます。
YouTubeで検索するとこの新津武昭さんの動画が見られます。
なんというか。
丁寧な言葉遣いではありますが、歯に衣を着せぬ物言いと言いますか、
少し鼻持ちならないタイプに見えます。
文士たちは日頃、花や蝶や、先生先生とお世辞ばかり言われていたので、
かえって、そこが信じるに足る奴と思わせた所以だったのかも。
古き良き時代だったのかなぁ。
今日はことのほか夕焼けが綺麗で
癒されました。
それではお後がよろしい様で❣️
今日も自己満足のような、自慢話のような、つまらぬ駄文を長々と綴ってしまいました。
そろそろ義父の命日が近づきます。生きていれば100歳です。
ありがとうございました♪