自分時間は一本道のようなものだ。

 

出会わなかったかもしれない。

 

偶然の出会いや別れやすれ違い。

 

でも出会ってしまったら、

 

もうそれは偶然なんかではなくなる。

 

そんな気にさせられる小説に出会った。

 

それが山下澄人さんの「コルバトントリ」。

 

※「コルバトントリ」とは本物のサンタクロースが住んでいると言われている

   フィンランドのラップランドにある山の名前だそうです。

 

 

  図書館のリユース本でなかったら、

 

 絶対に出会わなかった小説。(表紙絵に惹かれ手に取った)

 

 でも素通りはしなかった。

 

 読み終わって、

 

 どう説明したら?初めての体験をした感覚。

 

 一言で言うのなら「わからない」

 

 

 「あらすじ」を書きます‼️

 

 

 「ぼく」主人公は戦争体験をしたらしい。

 

 お母さんは死んでいる。

 

 お父さんは事故にあったか病気かで入院している?

 

 いや違う、人を刺して刑務所にいるのか。

 

 「ぼく」は叔母さんと一緒にいる。

 

 叔母さんは顔の半分が子供の頃天ぷら油かぶったせいで、

 赤黒い。

 

 唐突に叔父さんが死んだ。

 

 その時「ぼく」はフウコちゃんとタバコを吸っていた。

 

 火葬で焼かれた叔父さんは白い粉になったからフウコちゃんが一口食べた。

 

 お父さんは、いつの間にか叔父さんに姿をかえていた。

 

 「ぼく」は今、水族館に叔母さんといる。

 

 外の 雨音はこのシャチにも聞こえるのだろうか?

 

 それで、

 

 おしまい。The endです。

 

  悩む、悩む、大いに悩む。

 

 

あえて読後感を述べるとすれば、

 

この話には、時代も時間も全てが繋がっていて、切れ目がない。

 

誰が生きているのか死んでいるのかも、わからない。

 

行ったり来たりで、今が何時なのかも、さっぱりわからない。

 

山下澄人さん芥川賞受賞作家であり俳優さんでもあるらしい。

 

この小説は「AI」が書いたのかな?と思わせる文体。

 

 

私は こんなに「わけがわからない、相容れない?」🙏小説に久しぶりに

 

出会った。

 

それはそれですごい出会いだ。

 

「世の中には自分とは相容れない人がいるんだ」

 

と思わずガッテン。

 

 

いつか忘れるとは思うけれど、

 

まだユラユラ、波打って、頭を叩かれるのは、

 

なぜだろう⁉️

 

これは一種の麻薬なのか?

 

 

 

 

 

 本日はもう一冊。

 

「語るボルヘス」ボルヘス著

 

ボルヘス氏が大学で行った5回の講義を

ご自分で本にされたものです。

 

 こちらの本には素直に嬉しいことが沢山書かれていました。

 第一章「書物」。第二章「不死性」第三章エマヌエルスヴェーデンポリ」

 第四章「探偵小説」主にエドガーアランポーについて

 最後「時間」

 

 特に嬉しかった部分だけ抜粋。

 

「(中略)

 読むのに大変な努力を要する作品を書いた作家は、

 本質的に失敗していると考えられます。

 書物は人に努力を求めるべきではない。」と。

 

またこうも言っています。

 

「図書館とは魔法の書斎であり、

 そこには人類のもっとも優れた精神が魔法にかけられて、

 閉じこめられている。

 彼らは沈黙の世界から飛び出す時を今か今かと待っている」

  (「語るボルヘス」第一章「書物」より)

 

  ボルヘスさん、いいことおっしゃる。🥂

 

 私が思っていることを代弁してくださいました(笑)

 

 その後の章「探偵小説」では「ジキル博士とハイド氏」にも触れてくださり、

 

 これには私が大いに喜んだことは、言うまでもありません。‼️

 

 

  下はいつか再読したい自宅の本。

 

「ゴッドファーザー」映画はもう何度も。

 

 

なんの脈絡もない本達。
 
残された私時間、読書時間、
 
あとどれくらいだろうか?

 

今日も相変わらずの駄文で申し訳ありませんでした。

 

ご覧頂き誠にありがとうございました。