2013年5月

 わたしは勤続30年となり、仕事も忙しかったが、母の日には2人でお出かけして、下関の海響館へ行きお昼も食べて下関と門司の間の船に乗って門司に行き、初孫(わたしの息子)の職場を外から見たり散策してスィーツ食べたりした。母は母の大好きな兄が北九州にいた時、ここに遊びに来たと、にいちゃんはここで待っとけといってすごい待たされたとか10代の頃のことを楽しそうに思い出していた。

母は幻聴以外は特に変わりなく普通だった。幻聴が本当の声のように聞こえるらしい。幻聴が聞こえる時は、顔が険しくなり、聞き耳を立てているような感じだった。その声が本当かどうだかわからなくてこまるらしい。幻聴の内容は、おかぁさーんおかぁさーんと子供が泣いているような声や、ざわざわと外で人が話してるような声、とかだったらしい。5月は母の病院にまた付き添った。やめましょうと言われた安定剤をまだ飲んでいるのにビックリ。やめましょうと言われた時、残っている分をわたしが取り上げて捨てれば良かったと後悔。認知症のテストをしたけれどそれは問題なく大丈夫でした。安定剤飲まないと言うことを忘れていたようで、ずっと飲んでたらしい。薬はリーゼと言うものだった。近所のお友達も寝れない時はみんな飲んでるからとも言っていた。井戸端会議で寝れないと相談したら、私はリーゼを飲んでらば寝れると言われて、あの人も、あの人も飲んでいると言われて安心してたらしい。合わない人もいるのにね。ある日実家に行って見ると、庭木を切っていた。他の友達に相談したら、体を動かさないとダメと言われたと、なにもする気が起きないようだったのに、苦労している友達のナイスアドバイスでやる気を出してた。いつも盆栽の植え替えなどをしてるのに今年はしていないし、大好きな庭仕事もしてないようだったので庭木を切ってて嬉しかった。

 今思うと、友達に寝れないと相談はしていたが、幻聴が聞こえてそれがうるさくて気になって眠れないとは誰も理解してなかったんじゃないかなぁ。寝れなかったことなどないわたしは詳しく聞いていたが、眠くなれば寝れるだろうぐらいにしか思っていなかった、今介護をしていて、寝れない辛さが身に染みる。今なら気持ちがわかるのに、、

 しかし、わたしとしても色々考えて、幻聴が聞こえるのは耳が悪いからじゃないかと思い、耳鼻科にもつれていった。耳の聞こえは年相応に少し悪いぐらいだったが、補聴器を作り、ここから聞こえる以外は幻聴だから気にしないようにと言う方向に持って行った。母は初めて補聴器をするので、どんな音も大きく聞こえ、新聞をめぐる音、食器の音、普段人間の耳で聞いている分には、気にならない音まだ拡大されてうるさいようだったが、それも脳が勉強して気にならなくなるらしい。が、ずっとつけてないのでいつまでも、雑音がうるさそうだった。毎日補聴器つけるんよとうるさく言っていた。

 今思うと耳が少し遠いのと幻聴は関係なかったと思う。でも、一個づつ原因を潰していきたかった。


あとは、押活でプレミアム試写会に行きとても楽しかった。ファンの仲間とゆかりの焼肉屋で打ち上げて充実していた。仲間の中には、母親が認知症の人もいていろいろ話を話したり、聞いたりして、推活の楽しさと、これから母はどうなるのだろうという不安が入り混じっていた。