2023年12月

 わたしの現在の仕事は20歳から働き始め、新婚旅行で10日休暇をとり、2人の子供の出産も前日まで働き42日休んだだけ(この時母にはとても助けてもらった)で定年まで働き、その後も嘱託職員として働き2年めという職場でした。もう辞めてもいいやという気持ちもありました。どちらにせよ、65歳になるまでには仕事を引き継ぎしないといけないなぁと思っていたところでした。ほぼ同期の同僚にも相談したりしました。今からは介護で休みたい人は増えるはず、みんな歳をとった親を抱えている、誰がどうなってもおかしくないよと。1人の人は最近施設にいる父を亡くしたばかりでした。後悔のないようにしたほうがいいよ。こういう道を開いておくのも私達の大事な役目とも言ってくれ、背中を押してくれました。もう1人のほぼ同期の総務の人から介護休業が取れると聞き、とりあえず、残った有給を消化しながら申請を出しました。休業なら無給なので、バイトを入れるなり対策が取れるし、休みやすいでしょうとのこと。仕事は引き継ぐ時間もなかったが、なんとか引き継ぎノートを作りあとは、ラインや電話で対応することに。とりあえず12月19日からMAXの92日とることにしました。

 12月の時点では、訪問診療の先生によると点滴だけでは2ヶ月持てば良い方みたいな話を聞いていたので年末年始で帰ってくる子供達には一応喪服持参と伝えた。あっという間にベッドなんか運び込まれて体制も整い母が介護タクシーで横になったまま帰ってきた。5年と少しお世話になったホームでは皆さんが声をかけてくださり見送って下さった。

 帰ってきた母は足も腕も痩せ細り、点滴だけで生きるってすごいなと思った。口からは、メイバランスというネバネバして甘ったるい匂いがすごいついている飲み物をほんの何口かようやく取れる状態でした。毎日点滴を500ml足の血管から入れら状態でした。それだけで生きている状態でした。久しぶりに生で触れ合える母の状態に恐れ、戸惑いながらも、やはり母は母のままで安心しました。一日中ベッドに横になり、寝返りさえも打てない目を開けるのは24時間のうち30分あるかないかだし、声もほとんど出さない。残った体力をただ じっと耐えて温存しているという感じでした。間に合って良かったというのが正直な感情でした。

 昭和の私たちは自分が熱が出た、怪我をしたとかの理由でないと休みにくいというのが染み込んでいます。休むと他の人に迷惑がかかる。そういうことは許されないというか、気まずすぎて耐えられないという感じでした。出産明けで出勤したら場所が変わっていたこともあります。それもこれも休んだ自分のせい、当たり前とおもっていました。いまも迷惑はかかりますが、それでも申請すれば休める、元いたところに戻れる、すごい良い時代だなぁ。育休なんかもしっかりあるし、とても働きやすい時代だと感心した。子育ての時には間に合わなかったが、介護にはこの事態に間に合った。嫌味を言う人も皆無だし。とてもありがたいことです。感謝。