なんて気分になっている今朝の私。なんだか馬鹿らしくなってきたというのもあるけど、結局は、嘔吐しても何の役にも立たないってことがだんだん、といっても時間がかかりすぎだけど、わかってきたような気がするから・・。

 

結局は、もう痩せられない。そしてどうせこの体重でいるなら、吐かなくてもいい。そして吐かなくてもいいとなれば、実は、結構楽。余計な心配をしないですむ。

 

そして吐かないなら、どうせなら食べたいものを味わって食べたい。ただ吐くために食べるんじゃなくてね。

 

というのも、ロスで行きたかったプログラムが、すごーーく私に慎重で、(今までの歴史、チームの勧めを振り切ったり、なかなか言う通りにできなかったり、正直に話をしなかったり。。というのがあるから、私はブラックリストに載っているんだと思う。。)、もしや私に来てほしくないのか、とちょっと被害妄想的に考えちゃったりして・・。それならそこに無理して行かなくてもいいや、という思いと、いや、最初からそこに行きたかったんだから、もう本当にすべてを諦めて、治療に専念するか、正直になって、本当にチームのいうことに従うか。

 

ここまでいろいろなプログラムに参加してきていると、いろいろなプログラムがあることがわかる。そして、やっぱり私は、メディカルモデルで医師たちが始めたプログラムよりも、経験者であるセラピストが始めたようなプログラムの方が気に入っている。

 

メディカルモデル、経験のない医師たちが始めたプログラムは、何かと効果があるといわれているモデルを適応したがる。それさえしていれば、良くなるはず、という信念がどこかにある。

 

でも回復者が始めているプログラムには、まずは人間関係を大事にするという基盤がある。理論よりも何よりも、そこにいる人間に焦点をあててくれる。そして、人間関係を気づくことによって、正直になることを勧めている。そして、人間関係が出来れば、そうそう嘘をつこうとも思えなくなり、人間関係が一層深まり、それが治療に大きく影響するということ。クライエントさん同士でも関係が深まる。お互いに思いやりが産まれてくる。関係性が産まれてくる。

わかるかな。だから、アメリカでは、病院から離れて、家を改造した24時間施設というのが発達してきたんだろうな。

 

今日か明日には、どこへ行くことになるのか決まるはず。私にできることは、ただ待つだけ。それが拷問のよう。できるなら、私のできることをどんどんしたい。電話をしたり、連絡をしたり・・。でも今は、すべてを任せて、待つように、と言われている。それは、拷問。自分にできることを自分でできずに、人に任せておかないといけないなんて・・・。

 

それもある意味で、人を頼る、人を信頼するということなんだろうけど・・。どうなるんだろう? このあいまいさが、一番嫌い。どっちかにしてほしい。それは、白黒思考なんだけど・・・ね。