はじめまして、桜丸と申します。
この記事では【歌舞伎】菅原伝授手習鑑のあらすじ解説の前に、歌舞伎の基礎的な話を交えつつ、この作品がどのようなものかをご説明します!
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菅原伝授手習鑑
(すがわらでんじゅてならいかがみ)
菅原伝授手習鑑は、「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」と共に三大名作といわれ、どれも人形浄瑠璃から歌舞伎として上演されるようになりました。
ジャンルとしては、公家や武家の社会で起こった事件を題材にしているので「時代物」というものになり、その中でも王朝の皇族や公卿を主人公にした作品ですので「王代物(王朝物)」というものに入ります。
上記で述べたように、この作品は人形浄瑠璃が原作ですのでそういった作品は義太夫狂言と呼ばれています。(逆にはじめから歌舞伎のために書かれた作品は純歌舞伎狂言呼ばれています。)
純歌舞伎狂言が俳優をいかに魅力的に見せるかという点に主眼を置いて書かれたのに対し、義太夫狂言はストーリーが重視されており、主人公が貴族から庶民まで幅広く、作品の随所に盛り上がりがあります。その盛り上がりを作る理由の一つは、作者が複数人いること。
この作品は、竹田出雲(たけだいずも)・並木千柳(なみきせんりゅう)・三好松洛(みよししょうらく)・竹田小出雲(たけだこいずも)の合作で、
[一段目] 大内山、加茂堤、筆法伝授
[二段目] 道行詞の甘替、道明寺
[三段目] 車曳、賀の祝
[四段目] 天拝山、北嵯峨、寺子屋
[五段目] 大内
と別れておりますが
二段目の道明寺を三好松洛
三段目の賀の祝を並木千柳
四段目の寺子屋を竹田出雲
が担ったと言われており、各段それぞれの切(最後の場面)に「別れ」を描いています。
※物語が書かれたのは江戸時代、上方(関西地方)にて。
人形浄瑠璃の初演は1746年(延享3)8月21日に大阪・竹本座にて。大入りは10月25日までの2ヶ月余に及び、興行は翌年の3月まで打ち続けられました。
また、人形浄瑠璃初演の2ヶ月後の10月には京都・浅尾元五郎座にて歌舞伎として初演されました。
最近では歌舞伎で通し (※物語の初めから最後までを上演すること。)上演することは滅多になく、するとしても全てではなく加茂堤・筆法伝授・道明寺・車曳・賀の祝・寺子屋を昼夜で通すという形をとります。
この中でも寺子屋、車曳はミドリ(※その場面だけを切り取ること。)で上演される事が多く、特に寺子屋はこの作品の代名詞とされる程有名で、全段中最も上演回数が多いです。
ですが、ミドリで選ばれる場面は演出が華やかであったり、物語や役柄を重視してのこと多いので、物語の前後関係を掴むのが難しい場合があります。
ですので、このブログでは長く上演されていない大内山、道行詞の甘替、天拝山、北嵯峨、大内を含め、物語全体のイメージを掴んでいただくためにも始めの大内山から切の大内までを絵を交えてご説明させていただきます。
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では、ここからは前置きとして登場人物の紹介をさせていただきます。
菅原伝授手習鑑の舞台は平安時代。
四郎九郎(しろうくろう)という人が三つ子の男の子を授かりました。
※四郎九郎は後の白太夫。

昔、双子は忌み嫌われていましたが、
現代でも珍しい三つ子はとてもめでたいとされ、当時の天皇・醍醐天皇の左大臣である菅丞相(かんしょうじょう)が三つ子に名を付けました。
※菅丞相は、学問の神様と呼ばれている菅原道真(菅原道真)のことで、歌舞伎ではこのように呼びます。菅丞相とは、「菅原の大臣」という意味。
本来、この漢字は「かんじょうしょう」と読みますが、歌舞伎では「かんしょうじょう」です。
※この三つ子登場は、当時大阪市中で話題になっていた三つ子誕生のニュースを作者が取り入れたものと言われています。
三つ子の長男の名は梅王丸(うめおうまる)

次男は松王丸(まつおうまる)

三男は桜丸(さくらまる)

この名前は菅丞相の御寵愛の木である梅・松・桜の木にあやかって命名されたもので、菅丞相は四郎九郎にその三木を預けて領地である河内の佐太村で育てさせました。
三つ子は前髪立(元服前の前髪がある姿。14歳ほど)の頃には菅丞相の力添えもあって舎人(※貴族のお抱え運転手)となり、お嫁さんももらいました。
※昔は名付け親を「烏帽子親」と呼び、実親に並ぶものでした。その上就職も手助けしてもらったとなると、三つ子と四郎九郎は菅丞相に相当な恩があります。
※そんな若さで結婚!?と思われるかもしれませんが、戦国時代あたりまではこの年齢での結婚は普通のことでした。
また、平安時代は精神年齢が実年齢より10歳ほど上であったそうなので、この年齢での就職も普通のことでした。
梅王丸は菅丞相
松王丸は醍醐天皇の右大臣である藤原時平(ふじわらのしへい)
桜丸は醍醐天皇の弟である斎世親王(ときよしんのう)
の元にそれぞれ仕えました。
※藤原時平も実在した人物で、名前の本当の読みは「ふじわらのときひら」ですが、歌舞伎では「ふじわらのしへい」と読みます。
実はこの松王丸が仕える時平公は優秀な菅丞相を良く思っておらず、菅丞相を陥れ上の位に就こうとお考えでした。
つまり、菅丞相と時平公は敵対しているわけです。
菅丞相に大変恩のある四郎九郎や三つ子は当然菅丞相側ですが、松王丸は時平公に使えており、桜丸の仕える斎世親王も帝の弟君という立場ですので実質次男と三男は家を出たという形になります。
では何故、松王丸と桜丸が家を出るという形をとったかといいますと、もし三つ子全員が菅丞相に仕えていた場合、菅丞相の身になにかあった際に三人共が身を持ち崩してしまうため、それを防ぐためでした。
また、この作品には菅丞相に仕える重要人物がもう一人います。
その名は武部源蔵(たけべげんぞう)
源蔵は菅丞相に弟子として仕えていたのですが、菅丞相の奥方である園生の前(そのおのまえ)の腰元 戸浪(となみ)と恋に落ちてしまったのが原因で菅丞相に勘当(※主従関係を絶つこと。)され、今は寺子屋でこども達に手習いを教えています。
※この時代に職場恋愛は思い罪とされており、酷い場合は死刑を告げられます。そこを勘当で済ましたのは菅丞相の御人柄です。
この源蔵夫婦は物語を支える立場となっています。
主な登場人物の紹介はここまでですが、最後に、念頭に置いて頂きたい和歌があります。
『梅は飛び 桜は枯るる 世の中に
なにとて松の つれなかるらむ』
これは道真公が詠んだといわれているものですが、作者はこの和歌に登場する梅・松・桜を巧みに組わせて物語を作りました。
この梅・松・桜がどのように物語に絡み合って進んでゆくのかを意識して頂ければと思います。
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『【歌舞伎】菅原伝授手習鑑 はじまり』はここまでです!お付き合い下さり有難うございました。
ここまでお読みになった方はもうお付きだとは思いますが、私のハンドルネームはこちらからきております(笑)
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<参考文献>
・郡司正勝 監修 (1979)
三大歌舞伎 菅原・千本櫻・忠臣藏
・国立劇場・芸能調査室 編集 (1981)
上演資料集<195> 菅原伝授手習鑑 第一部
・沼野正子[文・絵] (2006)
ほんとうはおもしろいぞ歌舞伎 菅原伝授手習鑑
・橋本治[文] 岡田嘉夫[絵] (2007)
橋本治・岡田嘉夫の歌舞伎絵巻3 菅原伝授手習鑑
・歌舞伎・座宣伝部 編集 (2015)
平成27年3月歌舞伎座 筋書き
・独立行政法人 日本芸術文化振興会
文化デジタルライブラリー 菅原伝授手習鑑
・歌舞伎式会社 イヤホンガイド
演目ひとくちメモ 菅原伝授手習鑑