まだ息子が2歳児だった頃。
わたしは、ブログやヤフー知恵袋を読み漁っていました。
目的は、「発達障害児のサクセスストーリー」を探すこと。
それは必ず、こんな言葉で結ばれているのです。
「小さい頃は心配しましたが、びっくりするほど成長して『普通学級』に入学できました!」
そう、これは私が渇望してならなかったハッピーエンド。
1歳くらいからは目を合わせるのが苦手だったり、2歳まではじっと椅子に座っているのが苦手だったり、コミュニケーションが奇妙だったり、集中できなかったりしたけれど、
言葉は遅くなかった一郎。
オムツ外れをはじめ、、
できることは遅くなかった一郎。
療育さえ頑張れば、
栄養療法さえ頑張れば、
たくさんスキンシップして愛着を形成すれば、
体や目の正しい動かし方を知って、不器用さが減れば、
きっとそのハッピーエンドに辿り着くのだと信じていました。
しかし、1年生になって、私たちが選択したのは「通級」。
普通学級のほかの生徒とは別に、週に二時間、療育的な指導を受けます。
彼は、それを必要とする子供です。
知識は増えても(難しい漢字もいっぱい書けます)、
できることは増えても(公文ではかけ算をやっています)
自閉症と診断されてから3年。
目を合わせたコミュニケーションが苦手で、
会話が一方通行になりがちで、
注目、注視が苦手で、
集中することができず、
物事を完遂することができない。
彼のコアな困り感の部分は全然、
まったく
と言っていいほど成長していないのです。。。
大人になっても変わらなかったらどうしよう…
そんな恐怖に襲われています。
「自閉症は治らない病気なのだから、受け入れなさい」
そんな世間の声を、必死に聞こえないふりして、改善に挑む日々です。
そして、よくABAをはじめとした療育ビジネスのホームページや、本に書かれている「〜をした結果、普通学級に入学できました!」というハッピーエンドが、
全然「エンド」なんかじゃない。
そこで終わりじゃない。
ということも、息子が小学校に上がった今なら、よく分かります。
いろいろ言われはするけれど、親の意向が大きく影響する就学検査。
「絶対、普通学級に入れる!」と親が強く思えば、入れることは可能です。
そこからどれだけ授業についていけるか、
お友達とうまくやれるか、
3年、4年と授業内容も人間関係も複雑化するにつれて、
学校を、勉強を、楽しむことができるのか。
年齢を重ねれば重ねるほど、悩みや不安は大きくなりそうです。
そして無事中学、高校、その先へと人生の歩みを進められるか、
仕事を持てるか、
継続できるか、
親元を離れて自立できるか、、、、
まだまだ心配は続きそうですが、
自立まで行けば、いったんはハッピーエンドと言えるかもしれません。
いや、絶対、まだまだ心配するな。。。
それが親心といえばそうですが、
発達障害を持つ子。親も、子も、試練の多い人生になりそうですね。
まずは目の前。
一日一日、頑張ろう。