母の状態は相変わらず変わらない。。。
病院の日付いていく私、時間待ちがどうして総合病院はあぁもながいのか???
半日がかりで母はしんどくて横になっている。。。、大丈夫かな???
抗がん剤の副作用もかなり出てきたね・・・。初期の頃はもどしたりも激しくて
見ているこちらまでつらくなった。髪の毛もどんどん
悲しくなった。でも本当は
本人が一番つらいんだよね。とても胸が詰まる思いだった。。。がんばろうねと
心で問いかけた。薬も増えてきたしね。その日の診察では、癌のところが少し薄くなったかな?
と先生。。。実は母、抗がん剤は新薬を使っていた。心配ではあったが肺のほうでは有名な先生の
ようなので信用して続けていた。少し薄くなったので母も喜んでいた。でもでもそれもつかの間・・・。
やはり入院と退院のつり返しで、とうとう足を骨折?脱臼をした。癌が転移して骨がもろくなってきている
と先生が・・・。その頃から母の余命をほのめかされていた。そのときで約3ヶ月と・・・。
もうどうしたら・・・。母の顔が見れない。。。自然と涙がでる。私のは無理だ耐えれない。
彼に私無理!絶えられない・・・。助けて!!!
今辛いけど、おかあさんの方がもっと辛いよ。今しっかり受け止めていないと
これからもっとつらいよ。僕が付いているから大丈夫がんばれ!!
う・うん、ありがとう。。。
それからは家の近くに病院を移した。母の姉妹の人たちも加わり、順番に母の面倒を見るようになる
母は始めは足のこともあるのでリハビリ科に入院個室だった。帰りたい・・・や前の病院に
戻りたい。。。を繰り返す。
かわいそうだけど、ごめんね。仕方ないんだよ・・・。と心で思う。
そんな中母がある日、血相を変えて家に帰ると言い出す。なんで??
聞いてみると、入浴時男性だったらしい。病院の介護者が男性だったらしく嫌だった様だ。
う~ん・・・。仕方ない家に帰ろう外泊の届けを出す。夜中案の上、熱が出る。
やはり無理があったのか?病院に戻る。今度は病棟を先生に説明して変えていただいた。
相変わらず母はわがまま放題・・・。あるくのもおぼつく状態なのに脱走しようとして外で
転んで先生に見つかり病院にもどされたりで・・・。
あかあさん。。。
お願い。。。病人らしくね(-""-;)
私もかなりストレスもかかりおかしくなってきた。でもがんばろうと・・・。
病院に戻ってからは交代で泊り込みになる。今の病院は完全看護のはず・・・
なぜか?母が一人ではなにをするかわからないのと脱走を阻止する為だった。
もう!!!おかしくなりそう・・・。大丈夫か?私・・・。
そのときから私は彼からヘルパー2級の資格をとゆうことでお金も用意していただき
申し込みも行ってくださっていた。そんな時間あるかな?と思い、叔母さんが着ていただいて
る時に学校に行くようになった。少しは気晴らしにもなった。
ありがとうと彼に伝えた。
順調に学校と病院の行き来にもなれてきたとき・・・。母はだんだん言葉も話さなくなってきた。
一日中目だけが開いているときが多くなる。夜も寝ないときも多々。。。、
とうとう先生から宣告が・・・。お母さんの余命ですが後2週間くらいです。本当に申しわけありません
でした。そうか、そうかと私、ふかぶかと頭を下げていた・・・。涙があふれていた。
この2週間は私と母との一生分の思い出を作ろうと私は思った・・。