いつもブログを読んでいただき

ありがとうございます

SAKURAです

 

 

昨日は、恋愛を中心に自己紹介

いたしました

 

 

今日は番外編でお仕事を中心に

自己紹介いたします

 

 

 

 

 

厳しい両親のおかげで

私は両親の思い描いた人生を

歩んできました

 

 

4年生の国立大学へ進学し

一部上場企業へ就職し十数年働いてきました

今は中間管理職です

 

 

 

 

大学へ進学する時も

自分のやりたいことは分からず

国語が苦手だったのでとりあえず理系を選択

 

 

受験勉強に身が入るわけでもなく

1年浪人して、両親が許容できる程度の

レベルの大学に進学しました

 

 

そして、就職する時も

自分のやりたいことは分からず

地元の大企業だったので面接を受けました

 

 

理系だったけど、それと全然関係ないお仕事

ただ、ここでも両親のイメージ通りの就職先

だったと思います

 

 

同期は私の大学より良い大学出の人が殆ど

でも、私は地元の大学だったのと

取り繕うのは得意になっていたので

面接に通ったんだと思います

 

 

意外とね、恋愛以外だと運はいいんです

 

 

 

 

 

でも、自分に自信がない

やりたいことがない私

仕事は本当に辛かったです

 

 

当時はお局さんがいる時代

目を付けられないように上手くかわしつつ、

価値観の違いで泣かされたこともありました

 

 

それに、当時はセクハラなんて

言葉がなかった時代

胸を触られるなんてフツーでした

 

 

一番辛かったのは飲み会

17時半に業務が終わると

ううん、業務は残っていても強制終了

 

 

飲み会遅刻は言語道断

仕事が残っているなら明日の早朝に

そういう雰囲気でした

 

 

サービス残業はバレないようにする

そんなタイミングですからね

飲み会に行きたくないなんて言えません

 

 

飲み会に行けば今度はアルハラ

夜中まで散々飲まされ盛り上げ役をこなし

寝不足のまま翌日出社

 

 

そんな自分を痛めつける毎日でした

 

 

部署が変わっても、今度は仕事量が膨大で

連日12時までの業務は当たり前、土日もお仕事

週3日は東京日帰り出張で始発と終電・・

 

 

出張ってね、残業代付かなかったんです

でも流石にって上司に残業代ください

って言いましたね

 

 

 

 

 

 

入社して10年くらい考える時間なんてなくて

ただただ、軍隊のように働き蟻のように

動いていました

 

 

自分に自信もなかったから

頑張らなくちゃ、って

とにかく一生懸命でした

 

 

良くメンタルにならなかったな

恋愛で辛い時もあったのに

本当に良く頑張った、そう思います

 

 

 

 

 

 

そこに新たな価値観を持ち出したのが

彼でした

 

 

やりたいことを仕事にする

行きたくない飲み会は参加しない

サービス残業はおかしい

 

 

今の若い世代にとっては

当たり前の感覚でしょうけど

私にとったら180度違う世界

 

 

急にこんな事を言われたら

自分の10年がただただ無駄ったみたいで

自分が否定されたみたいで

 

 

彼とこういう話をする時

本当に辛くて

これも自爆の原因になりました

 

 

だから、やっぱり仕事も

辛くて苦しくて悲しい

そんな感じでした

 

 

 

 

漸くちょっとづつ

自分を一番大事にしようって

こころから思えるようになり始めています

 

 

でも、長年の癖はなかなか抜けない

いつも辛くて苦しくて悲しかったから

被害者を演じるのが得意になってます

 

 

でも、焦らず少しづつ

自分を緩めているんです

これまでずっと辛かったから

もういい事しか残ってないかな、って笑

 

 

今日も投稿長くなっちゃったな笑