本来であれば今頃
東京オリンピックの前夜で
お祭り騒ぎだったんですね




1年前の誰が想像できたでしょうか



今日の記事は
私と父の関係について書こうと思います




父は数年前に複数の癌で
闘病しましたが
叶わず天へ召されました



幼い頃の父は
昭和にありがちな
大酒飲みで、酒を飲むと大暴れ
タバコは1日何箱も吸い
一家に一台しかなかったテレビは
野球で占領し

「好きなことをして死ねるなら本望だ!」

と言うことも聞かない
そんな人でした




だから、父のことは
大っ嫌いでした!
母に「離婚しちゃえばいいのに!」
ってよく言ったものです




顔も見たくないし
同じ空間にいるのも嫌でした



そんな父が、私が結婚したいと
言った時
反対する母を説得して

「本人が好きって言うならいいじゃないか。」

って説得してくれたんですね





結婚式の時、父の腕に手を添え
一緒にヴァージンロードを歩いた
あの笑顔は忘れられません




父への想いが変わったのは
私が妊娠した時



とても喜んでくれて
私の身体を1番に考えてくれました
そして、娘が生まれて
目の中に入れても痛くない
とはこういうことを言うんだろうな
と実感しました




私は父に可愛がられた記憶が
あまり無かったので
娘への溺愛ぶりを見て
こんな一面があったんだと
関心したのを覚えています




父と母の関係も娘の誕生によって
少しずつ変わったように感じます



初めの離婚の時
2歳にならない娘の

「父親代わりにならなきゃな!」

って言ってくれた父を
頼もしく思い、私の心の負担を
軽くしてくれました




何より孫の成長を楽しみにしてくれた父
定年して
母との第二の人生を楽しもうとした矢先に
癌であることがわかりました



夏なのに風邪をひいたような声が続き
もしかして?と思い
医者へ行くように説得したとき
血尿で診察を受けると

腎臓癌

が発覚し、更に喉の診察を受けると

咽頭癌

であることが判明しました
転移ではなく別々の癌でした



家族は絶望しましたが
父は平気な顔をして
「手術すれば大丈夫だって!」
ってケロっとしていました
そして、複数の癌が
まるで武勇伝のように
人に話すのです




腎臓は1つ切除し、
咽頭癌は抗がん剤と放射線で治療となり
一旦は治ったかと思いましたが



定期検診で
肺に転移が認められ
肺の切除と抗がん剤治療を
受けることになりました




抗がん剤は打てば打つほど
癌細胞が強くなり
効かなくなるんですね
そして、正常な細胞をドンドン
蝕んでいく
体力はみるみる落ち
痩せ細り
大暴れした父は
遥か昔の姿となっていました




それでも父は
新薬があるから試さないか?
と言われれば
貪欲に治療に向き合いました




絶対に治る!



そう信じて



でも、その時はやってきたのです
主治医の先生が
「家族全員を集めて下さい。」
と言い、家族全員の前で
「これ以上の治療法はもうありません。緩和医療に切り替えましょう。」
と言った時、父は



「死ねって言うんですか?助けて下さい!まだ死ぬわけにはいかない!」


と大泣きしたのです

もちろん家族全員大泣きしました
あんなに暴れん坊の父が
好きなことをして死ねるなら本望
なんて言っていた父が



その後、国立がんセンターへ
紹介状を書いてもらいましたが
主治医の見立て通り
これ以上の治療法はないと言われ
緩和医療へ移行しました



それでも生きることを諦めなかった
民間療法や東洋医学
癌に効くと言うものは何でもやりました



あんなに大っ嫌いだった父
大っ嫌いから
生きていて欲しいと願うようになりました



父が喜ぶ顔を見たくて
毎晩仕事から帰ると
足湯をして1時間丁寧に
足のマッサージ



それが日課になりました


治りますように〜治りますように〜


と願いを込めて


今でも思い出しながら
書いていると涙が出てきます


自宅での介護も
いよいよ限界となった時
地元のかかりつけ医に行った時
先生から
「本人と家族のためにも入院しましょうか。」
とおっしゃってくれて
最後の入院をしました



その時、父は私にだけ


「これで良かったんだよな。母さんも疲れちゃったもんな。」


家が大好きだった父が
自分に納得させるように言いました




それから家に帰ったのは
介護タクシーを使って
一回だけとなってしまいました
もう歩けないのに
家に帰るとなると
起き上がって歩こうとした姿が
目に浮かびます




父と最後に会話したのは
母とお見舞いに行き
いつになく上機嫌で
3人で冗談を言って楽しんで
「また明日ね!」
と言って交わしたのが最後




翌日から眠るように
意識が戻らず



意識が戻ることを信じながら
最悪を覚悟して
交代で父の様子を見守りました



夜中に兄と交代して
私が父の様子を見守り始めた
その時
ベッドサイドモニター
が、ツーと•••••



その時間は日付が変わってすぐ
娘の誕生日の数字でした



その最後を見たのは私だけ



あんなに大っ嫌いだったのに



最後は大好きでした
私はあなたの子供で良かった



そう心で泣きながら
父へ言いました
聞こえてるかな?




長々書いてしまいましたが
生きている時に
言えなかったので
この場を借りて伝えました




今日もご訪問ありがとうございました