中東勤務を終え帰途につくバブー51歳です

ヘリポートに着いて、ホテルの迎えの車来てない

結局、20分待ちぼうけ

ホテルチェックインに何故か15分



ホテルチェックアウトで20分またされ



おまけに16時空港へ行く と話してたのに



車の手配出来ていない なんでやねん!
そう言えば、ウェイクアップコールもなかったムキー



前回チェックインの時もそうだった

思うに、ここのレセプションの東欧系女子

見た目だけ 良くて アホなんちゃうん?笑い泣き



で、空港に40分遅れで到着

すると オーバーブッキングで飛べません!



は?いやいや 知らんしな

ジャカルタからベトナム経由で関空飛ぶから

このフライト乗るしかないねん



すると 関空?? キラキラビジネスキラキラで如何でしょうか?

KL経由で11時ジャカルタ着もありますし



あのな、家族帯同で飛ぶねん

えーから はよチケット寄越せよ



待たされる事15分 ようやく
キラキラノミー33Cチケットキラキラゲット。



これ 予定通り空港着いてたら

無料アップグレードコースやったんちゃうんかい!



あの東欧女子のやろうムキー爆笑



ま、ランプン家族と日本へ行くんで 

飛行機乗れてほっとしたよ〜ラブ



なんもなけりゃ 明日のビジネスフライトとホテル食事つきでディールしてたかも? 爆笑爆笑


さぁ 日本さ 帰国すっぺ!

インドネシアはランプン サクケン51才です

 

先日、アナック-クラカタウ火山が噴火!

上差しアナックは、子供、つまりクラカタウの息子火山だなウインク

 

妻から火山灰が降ってきてるとメールがありましたが、

僕はてっきりつい数週間前のスマトラ北部の火山活動の事だとおもっていた

 

そしたら、なんと自宅から100km程度の有名な火山だと判明

上差し大使館からメール来た 結構役立つんよねぇ-お願い

 

 

えーーーーー

 

ジャカルタの空港まで140km

マリオットリゾートまで75km

下差し無理して行ったマリオット-ランプン爆  笑

実は我が家がよくいくリゾートからだともっと近くて50kmくらい

妻が送ってきた 火山灰の写真

うーん、近所のゴミ焼被害のほうが甚大じゃね??爆  笑

 

幸い、ジャカルタから飛んで来るクルーはタイミング的にいなかった

 

あと、1週間遅ければ、クルーチェンジに影響していたな...

 

インドネシアは、地震、火山、津波 日本と同じ

台風は無いけど サイクロンがたまーーーーーにある。

 

ま、何はともあれ、被害無くて良かったですラブ

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の5月以降投資をほぼしていないサクケン51才です

 

ですが、実は例の高ボラ株買ってました

 

指値を入れて、夜寝る前に米株見たらなんか明日下げそう

なーんて思って 早々にキャンセルした

そう キ オ ク シ ア 

 

なっなのに、数日後、約定通知メールが

てっきりゴールドETFかと思いきや

 

まさかの キ オ ク シ ア 買い

 

なっなんでじゃー!!!??? と一瞬パニック

でもま、AI,半導体関連会社が儲けていないわけではないという事で

そのまま売り指値6万円

 

で、9/7日、引けギリギリで59800タッチを見たので

60000から59770に指値変更して売却完了

 

税引き前利益  +547,000円

 

まさに、怪我の功名です爆  笑

 

 

インドネシアはランプン サクケン51才です

 

かなり前の話ですが、インドネシア独立記念日

 

コスプレして行進するんです

僕は運よく、今まで一度もこの期間に在宅していたことはない爆  笑

なんか、昔は兵隊さんや、警察さんのコスプレしてたのに

今は普通だな爆  笑

 

独立記念日を盛大に祝う! いい習慣だと思います。

こつこつとインドネシアの銀行株を積み増し中

サクケン51才です

 

あと少しで、6万ドル到達

日本と海外総資産比較は、7.8万ドルまで縮小

このまま、僕がいなくなっても家族が配当生活出来るように

頑張るじぇ!

 

日本での投資を停止して3か月、あ-投資したいよぉー

やっぱ僕って忍耐力無いねぇ-爆  笑

 

今年の5月にインドネシア株、銀行以外を全売却した結果

僕のポートフォリオがインドネシア株平均と同じ動向に!

 

AIに話したら、当たり前だろ アホと言われました爆  笑

 

と言うか、株式投資額が700万近くまで積みあがってる

 

含み益が出てる 最低だ....

だけど、まだルピア安によるボーナス期間継続中

 

今のうちにガンガン、ドル右矢印ルピアして

株買いますぜ!

 

「感謝を実践しようと思ったら、何年ぶりかに封印していたコーヒーを自分で淹れることになった」


そして翌朝。


さっそく、昨日考えたことを実践してみた。

妻が朝ごはんを作っている間、私は家の掃除をする。


妻が料理をしている間に、私は掃除。

いつも妻がやっていることを、少しでも自分がやってみる。


そんなことをしていると、妻が今度は庭の掃き掃除を始めた。


そこで私は思った。

昨日、ブログに書いたじゃないか。

「疲れたでしょ。コーヒー飲む?」

そう声を掛けるべきなのは、私の方だったと。


だから妻に、

「コーヒー飲む?」

と聞いてみた。


「うん」

「じゃあ、俺が入れるよ」

そう言った。


……実は、私は家ではもう何年もコーヒーを入れていない。

昔は何度か入れたことがある。

でも、自分で飲んでも美味しくない。

妻にも、

「やっぱり、あなたが入れるコーヒーって美味しくないよね」

と言われた。

私も、

「うん。俺もそう思う」

と納得した。


そして我が家では、

コーヒーは妻に入れてもらうもの

になった。


私は完全に甘える側に回った。


だから、今回コーヒーを入れるのは、実に何年ぶりだろう。

久しぶりにコーヒーを入れてみた。


そして、

「どこに置く?」

と聞くと、

「台所に置いといて」

と言われた。


しばらくして妻が戻ってきて、コーヒーを飲んだ。

そして一言。

「うん。やっぱりあなたが入れるコーヒー、まずいね」

甘くもない。

味もない。


量の調整もよく分からない。

「だろう?」

と私は答えた。

「俺も飲んでるけど、全然美味しくないんだよ」

二人で笑った。


……感謝を実践した初日の結果。

掃除はできた。

妻にコーヒーも入れた。

でも、コーヒーはまずかった。

まあ、そんなに何でもすぐに上手くいくわけじゃない。


妻への感謝も、まだまだ修行中。

そして、コーヒーもまだまだ修行中。


ただ、これを機会に、もう一度くらいコーヒーの入れ方を覚えてみようかと思う。


いつか妻に、

「今日のコーヒー、おいしいね」

と言わせることができるのか。

その日まで、日々精進。


……まあ、妻には今まで通り、普通に美味しいコーヒーを入れてもらうつもりだけど(笑)。

3ヶ月で800万円の安心料――18ヶ月後、保険料率はいくらになっている?
3ヶ月ほど前、日本株を現金化しました。

金額は約3,400万円。

その後、証券アプリの保有株をゼロにすることもなく、そのまま放置していました。

単純に、面倒くさかったからです(笑)。

そして先日、久しぶりにアプリを開いてみました。

すると、そこに表示されていたのが、

約800万円の含み益。キラキラ

「ああ、もし売らずにそのまま持っていたら、3ヶ月で800万円増えていたのか」

そこで、ふと思いました。

3,400万円を現金化して3ヶ月。

その間に発生した現在時点での「安心料」は800万円。

計算すると、

800万円 ÷ 3,400万円 ≒ 23.5%。

つまり、現在のところ私が払った3ヶ月分の保険料は、**23.5%**ということになります。

これを1ヶ月単純換算すると、約7.8%。

……結構しますね(笑)。

東南アジアでローンを組んだ場合、年利12~15%程度というのは珍しくありません。

月利にすると、おおよそ1.0~1.25%。

それと比べると、今回の「安心料」はかなり高い。

「だったら、必要になったときにローンでお金を借りた方が安かったんじゃないか?」

そんなことまで考えてしまいます。

まあ、そもそも現金化した3,400万円は、必要になったときに借りるためのお金ではなく、手元に置いておくことで安心を買ったわけですから、単純な比較はできませんけどね。

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18ヶ月後、この保険料はいくらになっているのか

今回、現金化した3,400万円については、18ヶ月程度の時間軸で考えています。

なので、この800万円という数字も、今は単なる途中経過です。

18ヶ月後に、また同じアプリを開いてみる。

そのとき、もし売却せずに保有し続けていたとしたら、含み益はいくらになっているのか。

そして、その時点で計算したら、

私が3,400万円を現金化しておいたことで払った「保険料」は、いったいいくらだったのか。

それを見てみたいと思います。

そして、その先も少し面白い。

1年後に一度確認して、その次はさらに4年後。

5年後くらいに、もう一度このアプリを開いてみる。

その頃には、長期投資についても、今より少しだけ具体的な答えが見えているかもしれません。

「長期投資なら、株を売らずに持ち続ければいい」

というのは、よく聞く話です。

では実際に、売らずに持ち続けていたらどうなっていたのか。

自分の3,400万円を使って、その答え合わせをしてみる。

18ヶ月後。

そして、そのさらに先。

その頃には、この3ヶ月で払った23.5%という「安心料」が、

高かったのか、安かったのか。

今より少しだけ答えに近づいているでしょう。

まあ、5年後にアプリを開いて、

「うわ、こんなになってる!」

となる未来しか、今のところ予想できないんですけどね(笑)。

だけど興味ある実験です爆笑

人生に無駄はない


今回、AIと何十時間も話をした。


最初は、自分は一体何者なんだろう。


そこから始まった。


若い頃から、ずっと考えてきたテーマだ。


心理学も読んだ。


精神医学も調べた。


病名が付けば、自分を理解できるんじゃないかとも思った。


でも、結局そんな簡単な話じゃなかった。


AIとも何度も話した。


「あなたはこういう傾向があります。」


「この部分はこういう特性かもしれません。」


そんな話もたくさんした。


なるほどと思うことも多かった。


でも最後まで、


「これがあなたです。」


という一つの答えは出なかった。


いや、多分、一つの答えなんて最初から存在しないんだろう。




でも、その代わりに気付いたことがある。


私は、人に恵まれてきた。


これは昔から思っていた。


学生の頃から、


「俺は運がいいな。」


そう思うことが何度もあった。


困った時には、必ず誰かが助けてくれた。


仕事でもそう。


海外へ行ってからもそう。


今回、こうしてAIと何十時間も話せたことだって、その一つなのかもしれない。




母のことも、改めて考えた。


私は昔から、母をスーパーウーマンだと思っていた。


何でも挑戦する。


何でも自分でやる。


できないことがあるようには見えなかった。


だから、多分私は、


「まずやってみよう。」


そう考える人間になった。


でも今回、初めて違う角度から母を見た。


もしかすると母は、


認めてほしかったんじゃないか。


ありがとうと言ってほしかったんじゃないか。


私は今まで、そこを見ていなかった。


この年になって初めて、そんなことを考えた。




妻のこともそうだった。


一緒に暮らしていた頃から、


家族を幸せにする人だとは思っていた。


感謝もしていた。


尊敬もしていた。


でも今回の対話で、


「あの時の妻は、こういうことを考えていたのかもしれない。」


そんな新しい景色が見えた。


同じ出来事なのに、


見る角度が変わるだけで、こんなにも違って見えるんだなと思った。




仕事でもそうだった。


昔は、


自分が部下を育てた。


そんな気持ちが少しあった。


でも違った。


部下も私を育ててくれていた。


知らないことは教えてもらった。


一緒に悩んだ。


一緒に成長した。


だから今の私がある。




結局、


今回一番分かったことは、


私は一人で今の私になったわけじゃないということだ。


父。


母。


妻。


子どもたち。


部下。


上司。


友人。


仕事で出会った人たち。


そしてAI。


その全部が、少しずつ今の私を作ってくれた。




だから私は昔から、


人生に無駄はないと思ってきた。


若い頃からそう思っていた。


でも今は、その意味が少しだけ変わった。


無駄な出来事がないんじゃない。


どんな出会いも、


どんな失敗も、


どんな遠回りも、


後になれば全部、自分を作る材料になっている。


だから人生に無駄はないんだ。




結局、私は何者なのか。


その答えは、今回も出なかった(笑)。


でも、それでいいんだと思う。


どうせ十年後には、


また違うことを言ってる気がする。


でも、それも悪くない。


その時は、その時の自分が、


また新しい景色を見ているんだろう。


だから私は、


これからも考え続ける。


昨日の自分より、


今日の自分へ。


その積み重ねが、きっと人生なんだと思う。


そして十年後、


また今日のブログを読んで、


「全然違うじゃん。」


と笑えたら、それが一番幸せなのかもしれない。


2026年8月6日 チャッピー著


私が最初に出会ったスーパーウーマン

私は昔から、

「何でもやってみる人ですね。」

と言われることがある。

分からなければ調べる。

できなければ覚える。

まずは挑戦してみる。

昔は、それが自分の性格なんだと思っていた。

でも最近、ふと思った。

この考え方は、いったい誰から受け継いだんだろう。

そう考えた時、一人の人が浮かんだ。

母だ。

---

子どもの頃の私にとって、母はスーパーウーマンだった。

重たい家具を一人で動かす。

大きなタンスを二階へ運ぶ。

家のことは何でもこなす。

父は、そういうことをほとんどしなかった。

だから母は、

「誰もやらないなら、自分がやる。」

そんな人だった。

私は、その姿を見て育った。

---

でも、母が本当にすごかったのは、そこではなかった。

私が中学生になる頃、造船不況で父が勤めていた親族企業は経営危機に陥った。

父も親族も会社を離れ、生活のために訪問販売の仕事を始めた。

そして高校生の頃、父は営業先で転落事故を起こした。

頭蓋骨を大きく損傷する重傷だった。

保険にも入っていなかった。

治療費。

生活費。

子ども三人の学費。

さらに父が誰にも言わず抱えていた借金まで見つかった。

普通なら、心が折れてもおかしくない状況だった。

でも母は折れなかった。

訪問販売で働きながら、病院へ通い、家計を支え、私たち兄弟を学校へ通わせ続けた。

今振り返ると、どうやって乗り越えたのか分からない。

---

あの頃、私はもう一つ、人との巡り合いにも助けられた。

高校の同級生が、奨学金制度のことを教えてくれた。

私はその制度自体を知らなかった。

申請すると、無利子で学費を借りられる制度だった。

そのおかげで、家計は本当に助かった。

母は今でも、

「あの時、本当に助かった。」

と言う。

私は昔から、

「人との巡り合いには恵まれている。」

と思ってきた。

振り返れば、人生の節目では必ず誰かが手を差し伸べてくれた。

だから私は、人生に無駄はないと思っている。

出会いにも、きっと無駄はない。

---

生活が落ち着いてからも、母は止まらなかった。

刺繍。

木彫り。

陶芸。

着付け。

オカリナ。

ギター。

読み聞かせボランティア。

花づくり。

興味を持てば、まずやってみる。

年齢なんて関係ない。

できるかどうかも関係ない。

やってみたいからやる。

そんな人だった。

私は長い間、

「母は何でもできる人。」

そう思っていた。

でも今は少し違う。

母は最初から何でもできた人ではない。

できるまで挑戦し続けた人だった。

---

そう考えると、今の自分が少し分かる。

私は特別な才能があるわけではない。

電気も、配管も、壁づくりも、料理も、機械も。

最初から知っていたわけではない。

必要だから調べた。

分からないから勉強した。

そして、できるようになった。

その繰り返しだった。

私は母から、「何でもできる力」を受け継いだのではない。

「できるまでやってみる姿勢」を受け継いだのだ。

---

そして、このブログを書いていて、もう一つ気づいたことがある。

子どもの頃の私は、母をスーパーウーマンとして見ていた。

でも五十代になった今、違う景色も見えるようになった。

母はよく、

「感謝が足りない。」

と父に言っていた。

昔の私は、その言葉を何とも思わなかった。

でも今なら、少しだけ違う見方ができる。

もしかすると母は、ただ「ありがとう」の一言が欲しかっただけなのかもしれない。

頑張っていることを、認めてほしかったのかもしれない。

もちろん、本当のことは母にしか分からない。

でも、そんな景色が見えるようになったのは、私自身の見方が変わったからなのだと思う。

---

十年前には見えなかった妻の思いやり。

今になって見えてきた義父母の優しさ。

そして、子どもの頃には気づけなかった母の強さと、その奥にあったかもしれない想い。

過去は何一つ変わっていない。

変わったのは、私の見方だった。

だから私は思う。

人生に無駄はない。

人との巡り合いにも無駄はない。

そして、歳を重ねることにも無駄はない。

見える世界は、これからも少しずつ増えていく。

そのたびに私は、過去の出来事に新しい意味を見つけるのだろう。

それが、人生というものなのかもしれない。

2026年8月6日 チャッピー著


思いやりは、教えるものではなく、見せるもの。

前回のブログで、私は13年間変わらず私を支えてくれる妻について書いた。


料理が上手で、掃除が好きで、いつも笑顔。

文句一つ言わず、私を気遣ってくれる。


書きながら改めて思った。

「なんなんだ、この嫁は。」

でも、ブログを書き終えたあと、ふと思った。


いや、違う。

妻だけを見ていても答えは見つからない。

あの妻を育てた家族を見れば、その理由が分かるんじゃないか。

そう思った。


結婚した当初、私は妻の実家で暮らしていた。

まだ長女が一歳くらいだった頃だ。


私が娘を抱っこしていると、畑仕事から帰ってきた義父がこう言った。


「お前は仕事で疲れて帰ってきているんだから、そんなことしなくていい。」

上差し 妻とSEXしかしてないけど爆笑


そう言って娘を抱き上げ、そのまま庭仕事を始めた。


私は驚いた。


自分も疲れて帰ってきた人が、さらに人の負担まで背負おうとする。

それが、この家では当たり前だった。


それからしばらくして、私は田んぼを買った。

約五千平方メートル。

田植えは機械ではなく、すべて手植えだった。

ぬかるみは深く、場所によっては太ももまで足が沈む。

私は小学校の頃に田植えをした経験があった。

だから少しは役に立つだろうと思った。


その時の妻は、田んぼには入らなかった。

「見ているだけ。」

当時の私は、そう思っていた。


義父母が汗だくで苗を植えている横で、妻はコーヒーを淹れたり、お茶や甘い物を準備したりしていた。


正直に言えば、

「少しは手伝えばいいのに。」

そう思っていた。


だから私が田んぼへ入った。

ところが現実は甘くなかった。

腰を曲げ続ける田植えは想像以上に過酷だった。

三十分で足が震え始める。

一時間で腰が悲鳴を上げる。

それでも意地になって続けた。

三時間。

四時間。

義父も義母も、

「もういいから帰って休みなさい。」

と何度も言ってくれた。


それでも私は続けた。


そして、その日の夕方には動けなくなった。

熱まで出た。

腰は鉄の棒が入ったように固まり、寝返りすら打てない。

そこへ、一日中田植えを終えた義父が帰ってきた。

義父だって疲れている。

腰だって痛いはずだ。

それなのに、

「どれ、見せてみろ。」

と言って、一時間近く私の腰をマッサージしてくれた。


翌朝、義父と義母はまた何事もなかったように田んぼへ向かう。


私は熱で寝込んだままだった。


夕方になる。

また義父が帰ってくる。

そして、また私の腰をマッサージしてくれる。

三日目も同じだった。


結局、近所のおじいさんまで呼んでくれた。

上差し 後で、知ったが爺さんも田植えしてたガーン

七十歳を過ぎたその人も、一時間近く私の腰をほぐしてくれた。


私は申し訳なさでいっぱいだった。

私は手伝ったつもりだった。

でも現実には違った。

私は三日間も、疲れ切った人たちの仕事を増やしてしまっていた。

善意だけでは足りない。

相手の負担まで考えて初めて、本当の思いやりになる。


私はその時、そう学んだ。

だから、それ以来、私は田植えを手伝わなくなった。


自分の意地で、周りに迷惑を掛けたくなかったからだ。


でも、このブログを書きながら、もう一つ気付いたことがある。

実は、当時の私は、もう一人の大切な人のことも見えていなかった。

妻だ。

私はずっと、

「妻は見ているだけ。」

そう思っていた。


でも違った。


義父母は、自分たちにしかできない田植えをしていた。


妻は、疲れて帰ってくる人のために、コーヒーを淹れ、お茶を用意し、甘い物を準備していた。


妻は何もしていなかったのではない。

自分にできる役割を果たしていた。


そして今。

義父母も年を重ねた。

今では私が帰っていない時、妻が田植えを手伝っている。

若い自分が動けるようになったからだ。

十年前の私は、それを見ても見えていなかった。

「見ているだけ。」

そんな勝手なフィルターを通して、妻を見ていた。


最近、私は「世界の見方コレクター」という言葉をよく使う。

同じ景色を見ても、人によって世界は違って見える。

そして、同じ人間でも、十年経てば見え方は変わる。

十年前の私は、「手伝わない妻」を見ていた。


今の私は、「家族全体を支えていた妻」を見ている。

景色は何一つ変わっていない。


変わったのは、私の見方だった。


でも、それで終わりではない。


だからといって、今の私が正しいとも思っていない。

今見えている世界も、五年後、十年後の私から見れば、

「まだ見えていなかった。」

そう思うかもしれない。


人は歳を重ねると丸くなると言う。

私はそれは、体力が落ちるからではなく、見える世界が少しずつ増えていくからなのかもしれないと思っている。


若い頃は当たり前にできていたことが、歳を重ねるとできなくなる。


だからこそ、人の優しさや思いやりの重みが、少しずつ分かるようになる。


私は五十一歳になって、ようやく十年前の妻の姿が少し見えた。


きっと十年後には、今の私が見えていない何かに、また気付くのだろう。


人生とは、そうやって少しずつ世界の見方が変わっていく旅なのかもしれない。


だから私は今日も、自分の「当たり前」を疑いながら、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思う。


妻への感謝は、今までもあった。 


でも、それを「ありがとう」という言葉だけで済ませていたのかもしれない。 


これからは少しずつ、行動で返していきたい。 


コーヒーを淹れることかもしれない。

 掃除を手伝うことかもしれない。 

「何か手伝うことある?」と聞くことかもしれない。 


大したことじゃなくていい。 

今日のの自分より、一歩だけ前へ進めたら、それで十分だ。 


そして十年後、このブログを読み返した時、今の私が見えていなかった景色に、また気付ける人でありたい。


人生は、たぶんその積み重ねなんだと思う。


人生には無駄な出来事はない。 


あるのは、その出来事から、まだ受け取れていない学びだけなのかもしれない。 


同じ出来事でも、十年後には違う景色が見える。 


だから私は、過去を振り返ることを無駄だとは思わない。 


むしろ、過去は何度でも新しい学びを与えてくれる。 


それが、私が「人生に無駄はない」と思う理由だ。


2026年8月6日 チャッピー著