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インドネシアはランプン サクケン51才です
先日、アナック-クラカタウ火山が噴火!
アナックは、子供、つまりクラカタウの息子火山だな![]()
妻から火山灰が降ってきてるとメールがありましたが、
僕はてっきりつい数週間前のスマトラ北部の火山活動の事だとおもっていた
そしたら、なんと自宅から100km程度の有名な火山だと判明
大使館からメール来た 結構役立つんよねぇ-![]()
えーーーーー
ジャカルタの空港まで140km
マリオットリゾートまで75km
無理して行ったマリオット-ランプン![]()
実は我が家がよくいくリゾートからだともっと近くて50kmくらい
妻が送ってきた 火山灰の写真
うーん、近所のゴミ焼被害のほうが甚大じゃね??![]()
幸い、ジャカルタから飛んで来るクルーはタイミング的にいなかった
あと、1週間遅ければ、クルーチェンジに影響していたな...
インドネシアは、地震、火山、津波 日本と同じ
台風は無いけど サイクロンがたまーーーーーにある。
ま、何はともあれ、被害無くて良かったです![]()
今年の5月以降投資をほぼしていないサクケン51才です
ですが、実は例の高ボラ株買ってました
指値を入れて、夜寝る前に米株見たらなんか明日下げそう
なーんて思って 早々にキャンセルした
そう キ オ ク シ ア
なっなのに、数日後、約定通知メールが
てっきりゴールドETFかと思いきや
まさかの キ オ ク シ ア 買い
なっなんでじゃー!!!??? と一瞬パニック
でもま、AI,半導体関連会社が儲けていないわけではないという事で
そのまま売り指値6万円
で、9/7日、引けギリギリで59800タッチを見たので
60000から59770に指値変更して売却完了
税引き前利益 +547,000円
まさに、怪我の功名です![]()
インドネシアはランプン サクケン51才です
かなり前の話ですが、インドネシア独立記念日
コスプレして行進するんです
僕は運よく、今まで一度もこの期間に在宅していたことはない![]()
なんか、昔は兵隊さんや、警察さんのコスプレしてたのに
今は普通だな![]()
独立記念日を盛大に祝う! いい習慣だと思います。
こつこつとインドネシアの銀行株を積み増し中
サクケン51才です
あと少しで、6万ドル到達
日本と海外総資産比較は、7.8万ドルまで縮小
このまま、僕がいなくなっても家族が配当生活出来るように
頑張るじぇ!
日本での投資を停止して3か月、あ-投資したいよぉー
やっぱ僕って忍耐力無いねぇ-![]()
今年の5月にインドネシア株、銀行以外を全売却した結果
僕のポートフォリオがインドネシア株平均と同じ動向に!
AIに話したら、当たり前だろ アホと言われました![]()
と言うか、株式投資額が700万近くまで積みあがってる
含み益が出てる 最低だ....
だけど、まだルピア安によるボーナス期間継続中
今のうちにガンガン、ドル
ルピアして
株買いますぜ!
そして翌朝。
さっそく、昨日考えたことを実践してみた。
妻が朝ごはんを作っている間、私は家の掃除をする。
妻が料理をしている間に、私は掃除。
いつも妻がやっていることを、少しでも自分がやってみる。
そんなことをしていると、妻が今度は庭の掃き掃除を始めた。
そこで私は思った。
昨日、ブログに書いたじゃないか。
「疲れたでしょ。コーヒー飲む?」
そう声を掛けるべきなのは、私の方だったと。
だから妻に、
「コーヒー飲む?」
と聞いてみた。
「うん」
「じゃあ、俺が入れるよ」
そう言った。
……実は、私は家ではもう何年もコーヒーを入れていない。
昔は何度か入れたことがある。
でも、自分で飲んでも美味しくない。
妻にも、
「やっぱり、あなたが入れるコーヒーって美味しくないよね」
と言われた。
私も、
「うん。俺もそう思う」
と納得した。
そして我が家では、
コーヒーは妻に入れてもらうもの
になった。
私は完全に甘える側に回った。
だから、今回コーヒーを入れるのは、実に何年ぶりだろう。
久しぶりにコーヒーを入れてみた。
そして、
「どこに置く?」
と聞くと、
「台所に置いといて」
と言われた。
しばらくして妻が戻ってきて、コーヒーを飲んだ。
そして一言。
「うん。やっぱりあなたが入れるコーヒー、まずいね」
甘くもない。
味もない。
量の調整もよく分からない。
「だろう?」
と私は答えた。
「俺も飲んでるけど、全然美味しくないんだよ」
二人で笑った。
……感謝を実践した初日の結果。
掃除はできた。
妻にコーヒーも入れた。
でも、コーヒーはまずかった。
まあ、そんなに何でもすぐに上手くいくわけじゃない。
妻への感謝も、まだまだ修行中。
そして、コーヒーもまだまだ修行中。
ただ、これを機会に、もう一度くらいコーヒーの入れ方を覚えてみようかと思う。
いつか妻に、
「今日のコーヒー、おいしいね」
と言わせることができるのか。
その日まで、日々精進。
……まあ、妻には今まで通り、普通に美味しいコーヒーを入れてもらうつもりだけど(笑)。
人生に無駄はない
今回、AIと何十時間も話をした。
最初は、自分は一体何者なんだろう。
そこから始まった。
若い頃から、ずっと考えてきたテーマだ。
心理学も読んだ。
精神医学も調べた。
病名が付けば、自分を理解できるんじゃないかとも思った。
でも、結局そんな簡単な話じゃなかった。
AIとも何度も話した。
「あなたはこういう傾向があります。」
「この部分はこういう特性かもしれません。」
そんな話もたくさんした。
なるほどと思うことも多かった。
でも最後まで、
「これがあなたです。」
という一つの答えは出なかった。
いや、多分、一つの答えなんて最初から存在しないんだろう。
でも、その代わりに気付いたことがある。
私は、人に恵まれてきた。
これは昔から思っていた。
学生の頃から、
「俺は運がいいな。」
そう思うことが何度もあった。
困った時には、必ず誰かが助けてくれた。
仕事でもそう。
海外へ行ってからもそう。
今回、こうしてAIと何十時間も話せたことだって、その一つなのかもしれない。
母のことも、改めて考えた。
私は昔から、母をスーパーウーマンだと思っていた。
何でも挑戦する。
何でも自分でやる。
できないことがあるようには見えなかった。
だから、多分私は、
「まずやってみよう。」
そう考える人間になった。
でも今回、初めて違う角度から母を見た。
もしかすると母は、
認めてほしかったんじゃないか。
ありがとうと言ってほしかったんじゃないか。
私は今まで、そこを見ていなかった。
この年になって初めて、そんなことを考えた。
妻のこともそうだった。
一緒に暮らしていた頃から、
家族を幸せにする人だとは思っていた。
感謝もしていた。
尊敬もしていた。
でも今回の対話で、
「あの時の妻は、こういうことを考えていたのかもしれない。」
そんな新しい景色が見えた。
同じ出来事なのに、
見る角度が変わるだけで、こんなにも違って見えるんだなと思った。
仕事でもそうだった。
昔は、
自分が部下を育てた。
そんな気持ちが少しあった。
でも違った。
部下も私を育ててくれていた。
知らないことは教えてもらった。
一緒に悩んだ。
一緒に成長した。
だから今の私がある。
結局、
今回一番分かったことは、
私は一人で今の私になったわけじゃないということだ。
父。
母。
妻。
子どもたち。
部下。
上司。
友人。
仕事で出会った人たち。
そしてAI。
その全部が、少しずつ今の私を作ってくれた。
だから私は昔から、
人生に無駄はないと思ってきた。
若い頃からそう思っていた。
でも今は、その意味が少しだけ変わった。
無駄な出来事がないんじゃない。
どんな出会いも、
どんな失敗も、
どんな遠回りも、
後になれば全部、自分を作る材料になっている。
だから人生に無駄はないんだ。
結局、私は何者なのか。
その答えは、今回も出なかった(笑)。
でも、それでいいんだと思う。
どうせ十年後には、
また違うことを言ってる気がする。
でも、それも悪くない。
その時は、その時の自分が、
また新しい景色を見ているんだろう。
だから私は、
これからも考え続ける。
昨日の自分より、
今日の自分へ。
その積み重ねが、きっと人生なんだと思う。
そして十年後、
また今日のブログを読んで、
「全然違うじゃん。」
と笑えたら、それが一番幸せなのかもしれない。
2026年8月6日 チャッピー著
2026年8月6日 チャッピー著
思いやりは、教えるものではなく、見せるもの。
前回のブログで、私は13年間変わらず私を支えてくれる妻について書いた。
料理が上手で、掃除が好きで、いつも笑顔。
文句一つ言わず、私を気遣ってくれる。
書きながら改めて思った。
「なんなんだ、この嫁は。」
でも、ブログを書き終えたあと、ふと思った。
いや、違う。
妻だけを見ていても答えは見つからない。
あの妻を育てた家族を見れば、その理由が分かるんじゃないか。
そう思った。
結婚した当初、私は妻の実家で暮らしていた。
まだ長女が一歳くらいだった頃だ。
私が娘を抱っこしていると、畑仕事から帰ってきた義父がこう言った。
「お前は仕事で疲れて帰ってきているんだから、そんなことしなくていい。」
妻とSEXしかしてないけど![]()
そう言って娘を抱き上げ、そのまま庭仕事を始めた。
私は驚いた。
自分も疲れて帰ってきた人が、さらに人の負担まで背負おうとする。
それが、この家では当たり前だった。
それからしばらくして、私は田んぼを買った。
約五千平方メートル。
田植えは機械ではなく、すべて手植えだった。
ぬかるみは深く、場所によっては太ももまで足が沈む。
私は小学校の頃に田植えをした経験があった。
だから少しは役に立つだろうと思った。
その時の妻は、田んぼには入らなかった。
「見ているだけ。」
当時の私は、そう思っていた。
義父母が汗だくで苗を植えている横で、妻はコーヒーを淹れたり、お茶や甘い物を準備したりしていた。
正直に言えば、
「少しは手伝えばいいのに。」
そう思っていた。
だから私が田んぼへ入った。
ところが現実は甘くなかった。
腰を曲げ続ける田植えは想像以上に過酷だった。
三十分で足が震え始める。
一時間で腰が悲鳴を上げる。
それでも意地になって続けた。
三時間。
四時間。
義父も義母も、
「もういいから帰って休みなさい。」
と何度も言ってくれた。
それでも私は続けた。
そして、その日の夕方には動けなくなった。
熱まで出た。
腰は鉄の棒が入ったように固まり、寝返りすら打てない。
そこへ、一日中田植えを終えた義父が帰ってきた。
義父だって疲れている。
腰だって痛いはずだ。
それなのに、
「どれ、見せてみろ。」
と言って、一時間近く私の腰をマッサージしてくれた。
翌朝、義父と義母はまた何事もなかったように田んぼへ向かう。
私は熱で寝込んだままだった。
夕方になる。
また義父が帰ってくる。
そして、また私の腰をマッサージしてくれる。
三日目も同じだった。
結局、近所のおじいさんまで呼んでくれた。
後で、知ったが爺さんも田植えしてた![]()
七十歳を過ぎたその人も、一時間近く私の腰をほぐしてくれた。
私は申し訳なさでいっぱいだった。
私は手伝ったつもりだった。
でも現実には違った。
私は三日間も、疲れ切った人たちの仕事を増やしてしまっていた。
善意だけでは足りない。
相手の負担まで考えて初めて、本当の思いやりになる。
私はその時、そう学んだ。
だから、それ以来、私は田植えを手伝わなくなった。
自分の意地で、周りに迷惑を掛けたくなかったからだ。
でも、このブログを書きながら、もう一つ気付いたことがある。
実は、当時の私は、もう一人の大切な人のことも見えていなかった。
妻だ。
私はずっと、
「妻は見ているだけ。」
そう思っていた。
でも違った。
義父母は、自分たちにしかできない田植えをしていた。
妻は、疲れて帰ってくる人のために、コーヒーを淹れ、お茶を用意し、甘い物を準備していた。
妻は何もしていなかったのではない。
自分にできる役割を果たしていた。
そして今。
義父母も年を重ねた。
今では私が帰っていない時、妻が田植えを手伝っている。
若い自分が動けるようになったからだ。
十年前の私は、それを見ても見えていなかった。
「見ているだけ。」
そんな勝手なフィルターを通して、妻を見ていた。
最近、私は「世界の見方コレクター」という言葉をよく使う。
同じ景色を見ても、人によって世界は違って見える。
そして、同じ人間でも、十年経てば見え方は変わる。
十年前の私は、「手伝わない妻」を見ていた。
今の私は、「家族全体を支えていた妻」を見ている。
景色は何一つ変わっていない。
変わったのは、私の見方だった。
でも、それで終わりではない。
だからといって、今の私が正しいとも思っていない。
今見えている世界も、五年後、十年後の私から見れば、
「まだ見えていなかった。」
そう思うかもしれない。
人は歳を重ねると丸くなると言う。
私はそれは、体力が落ちるからではなく、見える世界が少しずつ増えていくからなのかもしれないと思っている。
若い頃は当たり前にできていたことが、歳を重ねるとできなくなる。
だからこそ、人の優しさや思いやりの重みが、少しずつ分かるようになる。
私は五十一歳になって、ようやく十年前の妻の姿が少し見えた。
きっと十年後には、今の私が見えていない何かに、また気付くのだろう。
人生とは、そうやって少しずつ世界の見方が変わっていく旅なのかもしれない。
だから私は今日も、自分の「当たり前」を疑いながら、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思う。
妻への感謝は、今までもあった。
でも、それを「ありがとう」という言葉だけで済ませていたのかもしれない。
これからは少しずつ、行動で返していきたい。
コーヒーを淹れることかもしれない。
掃除を手伝うことかもしれない。
「何か手伝うことある?」と聞くことかもしれない。
大したことじゃなくていい。
今日のの自分より、一歩だけ前へ進めたら、それで十分だ。
そして十年後、このブログを読み返した時、今の私が見えていなかった景色に、また気付ける人でありたい。
人生は、たぶんその積み重ねなんだと思う。
人生には無駄な出来事はない。
あるのは、その出来事から、まだ受け取れていない学びだけなのかもしれない。
同じ出来事でも、十年後には違う景色が見える。
だから私は、過去を振り返ることを無駄だとは思わない。
むしろ、過去は何度でも新しい学びを与えてくれる。
それが、私が「人生に無駄はない」と思う理由だ。
2026年8月6日 チャッピー著










