2月11日12日、

娘と2人で鹿児島に行ってきました。

目的は鹿児島の南端にある知覧、

第二次世界大戦時に特攻隊が

飛び立っていった飛行場跡で、

現在は知覧特攻平和会館と

なっている場所です。


実は娘(小5)は(私も少々)歴史好き、

それも近代史に興味があり、この旅も娘の

リクエストから始まりました。


映画「あの花が咲く丘で

もう一度君に会いたい」、

映画の公開前から原作を読んでいた娘は

映画を観てますます特攻隊に興味を持ち、

今回映画の舞台でもあった知覧に

旅をすることにしました。



JALで一路鹿児島へ、

そこから先はレンタカーで知覧へ。

約2時間のロングドライブです。
慣れないレンタカーで

初めはどきどきしましたが、

空港から空いている高速道路を走り、

すぐに慣れてきました。





鹿児島到着後、

あいにくの雨模様でしたが、

知覧に着いてすぐに平和会館を見学。
館内は想像以上の人の多さでした。
中は撮影禁止でしたが、

特攻で亡くなった方々のお写真、

手紙、遺書、

遺された物、マスコット人形…

すべて心に刺さるものばかりでした。


戦後引き上げられた零戦。

前部だけが残っています。

この姿が時間の流れと

戦争の壮絶さを

語ってくれています。


学芸員の方による講話(ほぼ満席)も

拝聴しました。

展示の見どころもわかり、

心に残るお話で

とてもよかったです。


先の戦争には

それぞれのご意見があると思いますが、

特攻で亡くなられた方々の

その時の真実の数日間が

残されていて、

どの展示を見ても

本当に胸に刺さりました。

平和な世の中に生まれ育ってきた私たち。

でもこの平和の前に、

世を去っていった、

去らねばならなかった方々がいる…。

家族、未来、夢、

愛しい人もいたでしょう。

検閲があったであろう中での遺書や

手紙により、

当時のお気持ちを知ることができます。

でも…

それぞれの方の本当のお気持ちは

きっとその方の胸の中にだけ

あったのではないでしょうか。

軍の中で生きていた特攻隊員の遺書、

とても立派で涙が溢れます。

そのお言葉は本当だと思います。

ですが、その行間も

大切に読み取らなければいけない、

と思いました。


この絵は、

仲矢勝好氏作画による高さ3m、幅4.4mの

信楽焼陶版壁画「知覧鎮魂の賦」です。

会館のロビーに飾られています。

私はこの絵の前で言葉もなく、

動けなくなりました。

炎に包まれた特攻機から

特攻隊員の魂を6人の天女が

救い出している絵。

この絵で私の魂まで

救われたような気持ちに

なりました。

私にとって

一生忘れることが出来ない絵です。


夕方の知覧の空です。


特攻平和会館近くの富谷食堂にも

行ってきました。



ここは軍指定の食堂で、特攻隊の方々が

出撃前の数日間の間に

食事をとられた場所でした。

「特攻の母」と言われている

トメさんの食堂です。

ここにも貴重な写真や手紙、

そしてトメさんと特攻隊隊員の方々との

逸話が展示されていました。
平和会館に残されている遺書とは

少し距離感の違う、

特攻隊の方々の実像に近い内容だと

感じました。


知覧について3時間あまり、

夢中で展示など見ていましたが、

平和会館もトメさんの食堂も閉館は17時。

あっという間で時間が足りませんでした。


雨の中、山越えを含む道を

鹿児島市内中央へと

帰らなけえばならなかったので、

急いで帰路へ。


知覧はとてものどかで美しいところでした。

2月にもかかわらず

道の両側に少し菜の花が咲いていて、

心が癒されました。


知覧は遠いです。

それでも本当に行って良かった、

と思います。
そして娘と一緒に行って良かった、

と思います。
多感な時期の娘の心の心の中に

何か大切なものが宿り、

残ってくれたら

とても嬉しいです。

また機会を作って、

今回まわれなかった場所を訪れたい、

と思います。