この数ヶ月、今年、米寿を迎える父の具合があまり良くなく、最近では前立腺が肥大してしまい、トイレに行ってもオシッコが出ない状態になり、慌てて翌日、7時半という朝一番の予約を取り、改めて8時半からの診察に父を連れて行きました。


お腹に管を刺し、そこから取るしかない状態になったまま、私が一日数回、実家に行っては、トイレに連れて行っては袋に溜まったオシッコをトイレに流すという生活が続いていましたが、本人も大変だろうと言うことで、前立腺を手術を勧められました。


その先生から、手術をする上での利点とリスクの説明を受け、その上で手術をしようと決めました。


その為、また翌日に日を改めて、手術に耐えられる体力と体調なのかを検査してもらいに行きました。


以前から心臓の具合が思わしくなかった父ですので、心配してはいましたが、やはり循環器内科での再度の検査によると、手術に耐えうる心臓の状態ではないということになり、高齢と言うこともあり、現行のままの状態で行くことになったのです。


歳をとるということは、自分ではままならないことが増えていくということであり、それを受け止め続けるというのは本当にしんどい作業であると思います。


一昨年の12月に旅立った兄・和浩のように、若くして亡くなることも悲しいけれど、長生きをするということは、それとはまた違う苦しみがあるものなのでしょう。



物事、すべてがそうですが、多面的であり、ひとつの事柄や事実も、また違う側面から見たら、違う立場の人から見たら、幸も不幸も、正義も悪も反転するものであると思います。


何をどう捉えるか?がいちばん大切なのかもしれませんね。


母も今年80歳になりました。


中学生の頃、初めて不遇だった母の生い立ちを聞いた時に、私は母の側にずっといようと決めました。


母がどこかに乗せて行って欲しいと言えば乗せて行ってあげられるように、


母に何かあったその時には、私が側にいてあげられるように、


会社勤めではなく、自営業を選択し、ある程度自分の采配で予定が組めるようにしてきました。


その選択が正しかったかどうかも、誰もわからないことですし、誰も判断できないことでもあるとは思いますが、その時の私がそう決めたのですから、その決断の責任は私自身が取り続ける他ありません。


そして、私はそれを歓びとしてやっているのですから^_^


いずれにしても、私が決めたように今現在があります。


年老いた両親の住む実家の、一軒隣りに住む、なんの保証もない私が、一体どこまで出来るかはわからないですし、正直 不安もたくさんありますが、両親へのほんの少しではあっても恩返しが出来る事への感謝を忘れずに日々を過ごしていきます。


歳をとり、老いを受け止めるということについて考えると、いつも思い出す言葉があります。


今日も、病院内でジュースを子供のように飲む父を見てその言葉を思い出していました。


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私が以前、観た【ツナグ】という映画の中で紹介された【最上のわざ】というホイヴェルス神父の言葉です。



「最上のわざ」 作者:ヘルマン・ホイヴェルス

この世の最上のわざは何か

楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順におのれの十字架をになう

若者が元気いっぱいで
神の道を歩むのを見てねたまず
人のために働くよりも
謙虚に人の世話になり
弱って  もはや人の為に役にたたずとも
親切で柔和であること

老いの重荷は神の賜物
古びた心で最後の磨きをかける
真のふるさとへ行くために
おのれをこの世に繋ぐ鎖を
少しずつ外していくのは
まことにえらい仕事だ
こうして何も出来なくなれば
それを謙虚に承諾するのだ

神は最後に一番良い仕事を
残してくださる
それは祈りだ
手は何も出来ないけれど
最後まで合掌できる
愛の恵みを求めるために
すべてをなし終えたら
臨終の床に神の声を聞くだろう
来よ わが友よ 汝を見捨てじと
 


私は敬虔なクリスチャンでもありませんし、無宗教です。


オマケに、まだまだ現役をやりきらなくてはならず、到底そんなことを語れる域にまで達していない私が何を語れるはずもありませんが、ひとつずつ歳を重ねる毎に、この言葉の意味を心身すべてで消化出来るような生き方をしていきます。


そして、歳をとるごとに子供に還る両親へと、色々な思いは巡りますが、今は、目の前に居る両親に、自分が出来る限りのことをしていきます。


日々、様々なコトがありますが、歳を重ねる毎に、柔軟な心ですべてを受け止めて行けたらと思っております。


秋の虫の声を聴きながら、父の部屋の大き過ぎるボリュームのテレビの音さえも愛おしく感じながら実家にて。